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夢とか別にいらんと思う

今どうなのかではなく、これからどうなっていくか。
そう考えれる人が好きだし、僕もそうでありたいと思っている。
例えば今100kgオーバーの巨漢だったとして、今どうなのかって言われてもどうしようもない。でも、これからどうなっていくかであれば、ダイエットするでも、はたまた相撲取りを目指すでも選択肢が広がる。

飲みの席でたまに苦しそうな人に会う。苦しいとは直接言わないけれど空気にギュッとした萎縮の気配が漂っている。将来、なんかやりたいとかあるの?って聞くと「夢とか、そういうのはなくて…」というのだけど「そんな夢とかいうものじゃなくて、欲望の方さ」っていうと色々出てくる。吐露するというか、吐き出す。

「今どうか」は基本的に現場でしかおきない思考だなと思う。今この瞬間に判断して行動する。ここで全部出すことをしとかないと後悔する。だから、今何をどうすべきかを高速で考える。そのくらいで他は「これからどうなっていこうかな」と意気揚々と考えている。

まだ本気出してない!ってアイドリング状態を意地でも維持してるに近いかもしれない。でも毎日本気出しすぎてたら疲れちゃう。もう少し肩の力を抜こう。いろんな成功事例がタイムラインに流れては消え、まるで自分が何もできてない人のように思う時もある。それでも僕は気にしない。あいつはあいつ。俺は俺。君はどうなっていく?

こうなりたいなぁってイメージはとても強い力がある。
むしろ、そっち側に進むには、この力無くして到達できないんじゃないかな。もしそれが叶わなくても命は取られないのに。結構最近会う苦しそうな人は首根っこ掴まれているような顔をする。

たまに今という足元を見ることはとても大切だと思う。
でもそれは12月31日とかで十分かもね。毎日足元見てると首が痛くなるよ。そして下を見ると障害物によくぶつかる。だって前見てないんだもの。

前を向くと360度何処へも行けてしまう。その道筋を決めるのは多くの人が「夢」という羅針盤だと思っている。しかし、それは少し違う。僕から見るとそれは「欲望」だと思う。美味しい肉が食べたいから、お店まで歩くし、頑張って仕事を早く終わらせるかもしれない。欲望を追いかけて手にいてると次の欲望が見つかる。例えば、何かものを買って満足したはずなのに、また僕らは新しいものを買おうとしてる。これが欲望。手に入れると次のものが欲しくなる。これをたどって気がつけば遠くまで来た人が語ったのが夢だと思う。なので夢はいつもキラキラして輝いて見える。そんな宝石のようなもの僕には私には無理だと思ってしまう。夢なんて別になければなくていい。欲望だけは捨てない方がいいぞって思う。

昔っから、こんな遅くまで働きたくないなー家でゴロゴロしたいなーって思っていた。これも立派な欲望だ。今その欲望を抱いたまま生きていたら残業のない会社ができた。ほら、残業のない会社って言葉キラキラしてるだろ?でも欲しかったのは家でゴロゴロしたいって欲望が原動力なんだわ。

夢は探さなくていい、欲望を考えよう。
人様に言えないような恥ずかしいものでもいい。それを叶える方法を考えよう。学生の頃の僕は目立ちたがりで「雑誌で取材を受けたい」って恥ずかしい欲望を持っていた。なんか賞でも取れば雑誌でれるんじゃないかって思って考えた。よし頑張ってる奴の倍以上頑張ろうって100案アイデアを作った。その経験があり、雑誌で取材を受けたいって欲望が満たされた。

人間ってそんな高尚で美しい生き物じゃない。
欲にまみれて皆それぞれ歪んだ存在。
別にキラキラしようとしなくていいと思う。あなたの欲望に忠実にいればなんかそれで暗い顔しなくて済むと思うんだ。

夢は1個しかもてないイメージあるけど、欲望は無尽蔵に抱けるからね。
今日も早く帰って猫のふわふわに顔埋めて、家族と過ごしたい。
その結果が残業のない会社であって、これを実現したいために早く帰ってるわけじゃない。ゴロゴロしたいだけ。


いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。