止まってしまった人
いつだって時間が足りない。
テスト前だって、誰かと過ごす楽しい時間だって、仕事で何かを作るときだって、おそらくこの人生だって、時間が足りないと思うのだろう。
ときおり、ふわっと生まれる溢れるような豊かな時間ってものは、神様が忙しい社会人に向けて、時折与えるサプライズみたいなものなのかもしれない。もう大抵の時間は常に残された時間との戦いだ。
生きてる限り何かしら少しでも成長はしていると信じている。
去年の自分より、今日の自分は確実に違う。
やりたいと思うことも、やれると思うことも、少し先を見て思っている。
そんな成長とともに、体の老化だったり、家族が増えたり、暮らしの変化みたいなものを見誤るのかな。なのでいつも締め切りに追われている。
そこに別にストレスはない。
何と鬼ごっこをしてるのかな?と思うくらいの感じだ。
むしろ、この感じを失った時に終わりなのかもしれないとも思う。
久々に日曜日に資料を書いていて、ふとそんなことを思った。
主婦だって、子供だって、学生だって、忙しい。
例えば今の自分と、誰かを比較するから「いいなぁ学生は時間があって」とか言えるのだ。そもそも、自分と比較した学生では全く別なのだ。彼らは忙しい。課題や就活や未来のことでいっぱいいっぱいだ。できることもまだ限られている。だから、自分と全く違う人を比較して愚痴る人ってのは、あー頭悪いんだなこの人とか思ってしまう。自分のやってることは他の人のできると思ってる人って、結構多い。
人のできるできないではなく、見るのは自分のことだけで人生いっぱいいっぱいだと思う。人の文句を言ってる人ってのは止まってしまった人だと思わざるを得ない。だって、そんな余裕はないよ。全然追いつかないんだ、自分自身に。ずっと自分に関わることだけを考えてしまう。
なんてことを書くのは、この前飲み屋で久々にそういう人がいたからだ。全然知らない人だったけどね。そうか止まってしまった人かと、僕は他の人と飲み騒いでいた。「何かやらないこととか決めてます?」とわいわい盛り上がっていた。
36歳ってのは脂が乗ってきている時期なのかな?最初で最後の36歳だから全然わかんないんだけど、今できることにだけ集中していたい。
今できないことだけに挑戦していきたいなと。それだけを考えている。
あと企画書1本書き上げる。まだ一文字も書いていない。
そんで新しい相談の構想が頭の中にある。忘れてしまう前に髪に落とさないと。本当、時間が足りない。ゲームもしたいし、家族ともイチャイチャしたい。必死に生きてあがいていこうと思う36歳。
いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。