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真夜中の遠吠え

令和なのに「昭和の日」という休日はどういう意味なのかわからないまま1日が終わろうとしている。あ、ほら。今ちょうど0時になった。

うっかり昼寝をしてしまった。最近は22時には布団に潜って本を読んでたのに一向に睡魔が訪れない。本を読んでいても、気付けば意識は文章から空想へ流れていっている。何してるの?と猫が一匹づつ顔を覗きにくる。

ふと、自分にしかわからないタイミングで今日この1年の過剰なまでの状態から切り離されたと感じた。頑張らなきゃ、貢献しなきゃ、結果を残さなきゃと社会という壮大なものへの働きの示しと、会社経営という重責から逃れたわけではないが、少し重荷を下ろした感覚があった。

この1年、色々ありすぎて、しっかりと眠り精神・肉体ともに回復させるべきなのに焦りや悩みや責任で眠れない日々が続いた。
誰も僕に期待なんかしてやいないのに、自分が自分に期待していたのだなと今日気づいたのだ。難しいニュアンスだけど。

こんな感じの日記も数が減っていたのが、その証明だ。
どこかで求められることを書かなければいけないと勝手に思い込んでいた。
誰も僕に期待なんかしてるわけないのに、自意識過剰の馬鹿野郎。
そんな、真夜中の遠吠え。

本当、たまたま聞いた立川談志の過去インタビューとジェフベソスの講演が全然別のことを言ってるんだけど悪魔合体みたいに僕の欠けたピースにすっぽりハマって片足引きずって歩いてる状態から、スッと背筋が伸びた。
言葉は救いだなと思う。世界のアジアの日本の京都の布団でもぞもぞ寝れずにいた男の心を救ったよ。

かつて、「誰も君のことなんか見てない」という日記を書いた。
それはやたらと色んな人に届いて、背中をさするような結果になっていた。
いまだにお礼の連絡が来たりする。
そこから10年くらい経って、俺はお前を見ていると自分自身の目線に気づいた。それは優しい目線の時もあれば、人によっては厳しい目線であることもある。

僕はもっと成長しなければという重責を自分にかして、自分がそれを監督していた。それなりに厳しい目で。仕事したくないだらしない自分を許せなかったり、やるべきタスクが完了できない自分を責めたり。どこかでもっとできるはずだ、できるようになれと自分自身が言い続けていたのだろう。

あー無理っすね、それ。
そんなふうに言えるように今日、急に思えた。
お前が思うほど、お前は優秀じゃないよって。
つめた!俺!と思ったけど多重人格ばりにそう思えた。
そして、モンハンガン詰してやっていた。

自分を殺すのは、自分なのかもしれない。
自分を生かすのも、自分なのだろう。
ふと、結構大事そうなことに気付く夜。

どこかで遠吠えが聞こえる。
僕のように遠くで鳴いてる誰かの声が聞こえる。
でかい声で弱音吐いていこうぜ。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。