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主人公なんていない世界

海にあぐらをかいて日差し直撃で考え事。
鳥取は皆生温泉の浜辺で過去に想像の手を伸ばす。
この地のことや、これからのこと。決して順調にきているわけではない背景を見て、自分たちができることは何か。考える。

一番の救いは、この地に住む若い人たちが、みな元気なこと。
心の芯のところがどっしりとしている。そんな印象を受けた。
飛び抜けてみんないい人たち。この人たちがいてくれるなら、自分たちにもできることがあると確信する。

自分たちの力は何かを考える。
建物が建てれるわけでもない。美味しい料理が作れるでもない。
かっこいいデザインができるわけでもない。
常に僕は「なにもできない存在」であることをなぜか大切にしている。

おそらく僕の力は「繋がりをつくる」ことと「やってやろうや」と鼓舞することくらい。あとどういう未来がいいかを示すことができるくらい。
ようは公園で新しい遊びを思いついて、周りにやりたい!と思わせる力だ。

ひいては、そこで一緒に遊んでくれる人たちの力をグッと大きく今まで以上にのびのびとふるえるような環境を用意することでみんなで想像を超えていく。今までの仕事を振り返りながら、なんとなく自分のできることって応援だなと思うのだ。

「できること」と「できないこと」をしっかり把握することって大事だなとも思う。できないことを認識することで「正しい頼り方」を身につけた気もする。その延長線上で「これはあなたじゃなきゃダメだ」と心の底からお願いできる。

こんな言い方すると遊びじゃないと怒られるかもしれないが、全ては僕のゲーム体験や漫画で見てきた世界と同じだ。同じロールの人なんていなくて、登場人物やキャラクターは個々の役割でパーティーに寄与する。それでもって魔王を倒したりするわけだ。

唯一、ゲームや漫画と違うなと思うのが「主人公なんていない」ということ。というか、マジで誰もが主人公出なければ成立しないのがリアルな世界の面白さだ。

なぜかというと、人は多様な視点を持ってるから。僕がRPGだと思って見ていた世界は誰かにとってみればシムシティみたいなゲームとして見ている時がある。この時、全体の設計やビジネス設計をした人が主人公になる。
さらに人によっては、料理の視点でみることもある。そうなると料理人やフード関連の企画者が主人公だ。

本当に素晴らしく機能するのは無数の側面に主人公が登場することだ。
主人公であって最良のサイドキック。その集合体が良いプロジェクトなんだと思う。

なので僕はいつも黒子だ。
これら状況が立ち上がる時、僕が立つ場面はない。
最初に「ここでこれやろうよ!」って大声出す人だから。
躓きそうな小石を避けたり、その道は危ないからこっちの道とか、ここはこの獣道を突っ切ろうとか。先を歩いて広場まで案内する人。

あの街で、この街で、あの浜辺で、あの山の麓で
さて、なにをやろうか。なにしてあそぼうか。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。