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情報取得と記憶容量の整理方法

日々新しい情報が飛び交い、ものすごい量の海を僕らは漂ってます。気がつけば無意識にTL覗くことは減り、情報の接し方に僕らは本能的に対応しているように思えます。しんどいよね、洪水のような情報。

昔はメディアが限られていて、人単体がメディア化された今、ものすごい発信量が生まれているのとWEBがもたらした簡単なプラットフォーム作成からの大量の情報で今ちゃぽんちゃぽんな状態。

僕の脳みその許容量は全然なくて、子供の頃から覚えるのに工夫しないとうまく頭の中で整理されない子供でした。僕の頭の中にはダンボールがいくつもあって、自分を中心に円状に並んでいます。そのダンボールには国語、理科、算数みたいな感じに科目が書かれていて、勉強しないといけない時にそのダンボールがぐわんと自分の目の前にくる。そんなイメージが僕というデバイスにはあります。

この頭の中の記憶倉庫は人それぞれ違いがあるのかもしれないけれど、今もう僕は「算数」のダンボールはいらないから、ぽいっと捨ててしまっています。代わりにデザインとか、仕事にまつわるダンボールが代わりに置かれている状態です。

それでも僕の脳みその許容量は限られているので置けるダンボールが限られます。死ぬまでこの狭さで戦って行く必要があるので不要なダンボールは定期的に捨てていきます。

もう一つの方法としては、情報を咀嚼して血肉化させることです。脳みそで覚えるんじゃなくて、体で覚える。泳げる人が水泳の本いらいなみたいなもので出来るだけ死ぬまで必要になりそうな情報は、噛み砕いて体験を通じて自分の体に覚えさせます。

なので、なんとなくこっち。たぶん、これ。みたいな言葉が多いのは、体に刷り込んだ情報の上で判断しているのだと思っています。そうしないといずれ僕に入れ込んだ情報に押しつぶされてしまうから。インプットしたらアウトプットする。これでだいたい体が覚えます。誰かに教えたら自分が一番学びになったみたいなものと一緒ですね。

この情報過多な時代に「この情報は取得しない」というのは、何を取得するか以上に大切な判断です。そういう意味で僕はTLは見ないという選択肢は、どうでもいい情報のインプットを防ぎ、その中でもTLを超えて自然に入ってくる情報だけで十分です。タレントが誰それに云々ということが自分の人生にプラスに作用するかといえば、絶対しないのでそういうことを防げます。

日々のタスクも記憶してるだけ無駄なのでインプットされた瞬間にすぐにTODOにアウトプットします。消化されて行くタスクなので容量食うだけ無駄なのです。生きるのが下手くそな人は全部頭に入れてしまおうとする人が多い気がします。優秀な人はいいんですが、僕は限られた容量で戦うしかないので外部記憶にまかせます。

ただ、これは自分のためだ!という情報は見るだけじゃなく、分解して考えたり、普通の人に比べ一歩二歩深い読み込みをします。情報以上の学びと気づきを得て、次何が必要かのレベルが上がります。これを繰り返して行くと自分にしかない情報処理が可能になり、色々戦いやすくなります。

この時代、どの情報を持ってるかも武器の一つだなと思ったので今日は情報のお話でした。

Photo by Fancycrave from Pexels

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。