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「ライフ・フィードバック」を見落とすな

ライフもワークもごちゃ混ぜなのが現代だ。かつこの状況下、より一層境目がなくなってきている。なので仕事も暮らしも含めて、もう僕の中ではライフ=LIFEなんだなと解釈している。

うちの会社は他と少し違っていて「残業するのはダサい」「仕事できない」って見方をされる。今日仕事サクッと終わったので帰りますっておやつの時間くらいに帰っても「やるやん」ってなる。こういう社風になったのも一人で創業した時にどうせ一人ならあまりできない挑戦をしてみようと「全営業日残業ゼロ」を試してみたからだ。有言実行した結果、週4の仕事で十分だったし、なんなら業績はグンと上がった。

働く時間は減ったのになぜか結果がついてくる。不思議だと思った。不思議だと思ったまま、放置してたら社風になったが、このコロナの中、改めてあの時の判断が成長できたポイントだなと思ったし、それに似た判断で行くと社員を一人取ろうとした結果、3人もとったなんてものもある。これも大正解だった。

様々な決断や判断には見返りがある成功か失敗か何も変わらなかったという方が少ないか、そこにあるのは良し悪しを抜きにした「変化」が残る。
変わる前と変わった後の差分を見て「いい決断だった」と言えるのだがこの前ふと思った。これって仕事のフィードバックに超似てない?って。

アイデアの提案をする、デザインの提案をする、コピーの提案をする。
それに対して誰かが良い悪いの反応を返す。これがフィードバック。それを受けてブラッシュアップするも違うプランを提示したりと判断材料になる。

アイデア、デザイン、コピーライティングなり「行動の結果」を提示し、「結果の感想」が戻される。目的は一つ。いいものをお互いに作りたいってこと。
「残業をしない」「社員を雇う」という行動の結果に対し、その結果が好調な弊社や私の人生なのだと思った。行動のフィードバックが起きている。

基本的にはフィードバックを重ねると質は向上していく。
プロジェクトでは恐ろしい速度でそれを実践しているのに、なぜ人生ではこんなに少ないのだろうと疑問に思った。いうてしまえば、うちの会社でやった挑戦はたったの二つ「残業ゼロ」と「社員雇用」。その会社としては結構当たり前で初歩的な挑戦ですらいい状況を作っていくのに関わらず「挑戦量」が少ないと感じた。

人生にもフィードバックがある。
なんとなくそれを意識しだすと仕事も暮らしも見方が変わる。
「新しいことに挑戦してみよう」のクソほど重たい偽善的な重みは嫌いでゴロゴロしていたいけれど、なんかやってみたらフィードバックが発生する、それだけ着目しておこう、なんて見方はずっと気楽でいられるし楽しそうに感じた。

仕事であんな数のフィードバックを受けたり、出したりしているのに
経営や暮らしの中でそれを意識することが皆無だったと驚いている。
これを「ライフ・フィードバック」と名付けようと思った。

何か決断をすると言っても大きいものから小さいものまである。
そこの大小は問わない。全ての決断に変化はあり「それを自覚的に見ることが大事」だと気づいたから。GWに3日連続ペペロンチーノに挑戦した。なんとなくだ。料理下手くそな僕のペペロンチーノに最終日妻は太鼓判をしてくれた。最後に少し醤油を香りづけて入れると美味しくなるのか、とか技術的な学びもたくさんあったし何より「次はあれを作ろう」と思える気持ちが生まれている。

フィードバックはダメ出しではなくネクストステップの見える化なのだ。だとしたらお仕事だけじゃなくて、暮らしにも経営にも様々なところにフィードバックは隠れている。それを見過ごさないようにしたい。

個人的な健忘録としての日記。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。