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休むを計画的に考える

仕事では今日のタスク、今週のタスク、直近のマイルストーンや打ち合わせの設定などなど、かなり計画的にスケジュールを構築している。ふと、慌ただしく過ごしてるなか、「疲れたな」と感じることがあった。

いつもスッと出てくるコピー案出てこなかったり、些細なことではある。しかし体調の不調のような風邪引くかもの予兆に近いものを感じた。蓄積疲労みたいなものかと思う。コロナ突入してから、しっかり休んではいるものの長期休みもない。この前週には土日が大学の講義だったのでより一層疲れていた。

「仕事は計画的に構築するのに、休むはなんで無計画なんだろう」

なんてことを思ったのだ。上手に仕事の計画立てれるのなら休みも同様にできるはずだ。しかし、あまりにこの行動に不慣れだと早々に気づく。どうしたものかなーと考えていた時に僕の大好きななかやまきんに君のネタを思い出した。あの筋肉に話しかけるやつ。

そうか、体と心をじっと観察してみようと思った。さすがにきんに君のように話しかけると社員及び家族たちが動揺する。しずかに自分の心身を観察する。自分の心身を仕事より優先してみたらどうなるかを今週試している。

休み方を計画的に作るのがまだ難しいので「休む」という活動パターンを把握しようという算段である。ゲーマーなら必ずそうする。

月曜日。会議がゴリゴリ入っていた。終わったのは17時くらい。お金周りの整理や契約書など大人な業務がぎっしりだった。会議終わり時点で今日はもういいやと心が思っていたので友人らと酒を飲み出した。
火曜日。気づけば友人と二人で日本酒1升あけており(おいしかった)目を覚ましても二日酔い。酒が抜けるまでじっと水を飲みながらリビングで自分の具合を見る。昨日まで重たいなーと思っていた心が軽くなっている。月曜日の酒のおかげか。爆笑するの大事。体は酒が抜けないだけで疲れはない。酒抜けたので事務所に出て、プレゼン資料作成・そのまま録画。
夜には別の会議で今後の制作ステップなどを詰める。良い会議と悪い会議があるなと思った。これは良い会議だった。
水曜日。パリッと目が覚める。状態良し。
10時から個性豊かな妖怪チーム(とクライアントに呼ばれている)とのMTG。この会議もいつも楽しい。まったくやったことのないことを仕掛けているのでわからないこともたくさんあるが少しずつ潰していく。
会議と会議の間、新しいプロジェクトの情報を整理する。いくつかの課題を見つけ出し検討材料に入れ込む。午後イチの編集会議は面白いアイデアがたくさんでる。良い会議。ワクワクする会議となんか報告程度が目的な会議との落差すごい。15時に睡魔が来た。体が眠いといってるので、もう今日帰って寝よう。家帰って昼寝。深い眠りで気づけば18時半。子供達とお話ししたり仕事は今日はもういいやと閉じる。

今週の半分を体と心優先にしてみると結構自分の具合がわかったのが面白い。例えば、夜寝る時に仕事のことを思い出して、あれもやらなこれもやらなという状態が消えた。体が眠たくなったら寝たら良いを優先したからかもしれない。睡眠時間が短いことを気にしなくて良いと気づいた。昼寝すれば良い。

仕事のタスクの見え方も少し変わった印象がある。
今、どのタスクにチャレンジするとワクワクするか判断するようになっていた。で、これやらなくて良くね?というのもあったり。面白い。視点が少しだけ変わった気がする。

今日は木曜日。どうしてもみたいヤクザ映画がある。劇場でみたい。どうにか早く仕事あがっちゃって劇場行けないか考えている。サボることを自然と考えている。これは良い傾向な気がする。

というように休むを計画的に侵攻しようとしたが、休む行為にあまりに不慣れな自分に気付いたわけです。土日ゴロゴロするのが休むことだと思っていたけど、儀式的だよね。本当は週中でも超疲れてて休ませたほうが良い時もあるんだと思う。

そんなこんなで休むを通じて体と心を把握する実験を進めている。
結局、これも次の時代の必要となる要素な気がしていて実験をしているから仕事的な側面もあるんだけど、結果自分も休めるし一石二鳥である。

計画的休み構築は今後も検証していく。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。