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62日書き続けたら、どうなった?

本日、1月22日。昨年11月22日から毎日書き続けて2ヶ月が経過。
平均すると1日の日記に500ビューくらい。大きな変化は☆スキからの❤️スキに変わったのが数字より大きい気がする。なんとなく❤️の方が押しやすい不思議。☆はお気に入り登録のニュアンスが強かったですね。

あと何処かの誰かが100円くれてた。ありがとう。その機能そのものを失念しておりました。お金払ってもらう前提じゃなかったので、なんかすいません。

毎日5−10分程度のことである。3万回見てらもう日記を想像すると不思議な気持ちになる。なんか意味ない事ばっかで恐縮だけど、ときどきハッとするときがあり、本当松倉個人の話だけど、書かないと気づけないなと思う。

2ヶ月続けて変化を感じている。
私的な視点で書かれた日記が最初の1ヶ月。それを超えると個の視点から始まる社会に通じる視点の奥行きが生まれた気がする。こういうことがあった、これは突き詰めると全体のこれを示唆してるんじゃないか、とかそういう普段ぼーっとしてると気づかないチョークの線みたいなものがある(気がする)。

視点が広がるということより、視点が深まるという感覚に近い。あってるか間違ってるかわからないけれど、思考の行き着く到達点が少しずつ伸びている気もする。

みんなと同じように同じ時間を暮らしていて、毎日何かワンダー的なことがおこるわけではない。思い起こせば猫が空中でゲボを吐くくらいが毎日日記の間のワンダーだろう。それ以外は淡々と日常が続いている。

今日何書こうかななんてことも考えてなく、noteを開いたらスラスラ適当に書いている。その瞬間思っていたことをぶつけているに過ぎない。しかし、ぶつけることで跳ね返ってくるものがある。自分で書いておきながらうち帰ってきた自分の言葉に、ふーむと考える事が増えた。

変な達成感もない。今日も書かないとという圧迫感もない。
ただ、今日も1日過ごしたぞという夏休みのラジオ体操みたいなものを感じる。しっかり今日も僕はここにいました。そんな自己満足のハンコを押していく日々。タイムラインに流されていく自意識ではなくて、このプラットフォームにトンと置かれる僕のハンコを眺めて、うん、今日もよく生きましたとはなまるをあげている。

気張らずこれからも誤字脱字爆弾で書いていこうと思います。
いつも読んでくれている人ありがとう。また明日会いましょう。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。