見出し画像

僕は僕をまだ諦めない。

年始からどうにも様子がおかしい。急にいろんなことが動き出しスケジュールを真っ赤に染めていく。野生のカンだけで生きてきた自分にとって物凄い追い風が吹いていると感じている。理由はわからない。間違いなく次のステージに指がかかった感じだ。

オリンピックよりも少し短い感覚で次のステージにたどり着きそうになる。
しかし、目に見えないだけに直感で「今だ」と気付くしかない。これに気付けないと人生と成長は平行線だ。残業はしないという縛りプレイもあって、より高度な難易度に設定されている。

これに気付かずに機運を逃す人も多いような気がする。
まだいける、もっと良くなれる。そんな根拠のない自分への期待さえあれば、気づけるはずだ。僕は僕をまだ諦めてない。それだけがセンサーなのかもしれない。

「根拠のない自信」ってのが自分の武器である。根拠があることだけやってりゃ安全地帯ではある。しかし、そこに挑戦はない。挑戦がないと成長なんてあるわけがない。リアルライフのレベル上げのルールは馬鹿でもわかるシンプルさだ。

根拠はない。でも、これは面白くなるぞというカンの部分で沢山の選択を繰り返してきた。ほとんど当たるが、外れるときだってある。この外れたときのことを恐れて挑戦が減ってくる。ある意味、心がタフなのかもしれないけど、見方を変えると馬鹿とも言える。ただ馬鹿や変態が世界を変えてきた歴史だってある。

祭だ、祭だ、踊らにゃ損、損。
恥ずかしがって祭りで踊れない人がいる。踊り方がわからない。笑われたら嫌だ。そんな気持ちがあるのかもしれない。でも、そんなあなたを誰もみていない、自信を持って言える。誰もあなたに期待してないし、見てもいない。そんな世界の真実を知らずにいないはずの誰かの視線に怯えて暮らす人も多い。

祭で騒いでいる人生で、踊ってる間に「こんな最高な祭、自分も作りたい」と思うのが僕や僕の奇抜な友人たちだ。誰かの祭を待つのではなくて退屈なら自分で祭りを作る。奇祭もしくは祝祭に近いがDIYでも、仕事ででも祭りを起こせたのなら目の前で嬉々として踊る人や共感し出会う仲間といった繋がりが生まれる。

トライヴ、部族的な集団だ。組織でもない、ただの面白いことやろうぜっていうある意味中毒者のような浮世離れした人たち。そんな仲間があつまりだしている。予感と可能性しかないといつも思っている。

会社としてこれまでの3年の評価が身を結んできている時期なのだと思う。
これの裏面としてチーム奇祭のような集団も動き出している。
すべてが同時に動き出した。なんだその新しい動きは?っていう驚きで持って、新しい正しさや可能性やチームのあり方を示していきたい。

絶対面白くする。
僕は僕をまだまだ諦めない。
もっと前に。もっと遠くへ。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。