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手前の退屈は手前の責任

退屈というものが苦手だ。人は何だか自動的に退屈を環境のせいにしがちだなとも思う。退屈な状況を生み出しているのは、いつだって自分のせいだということを忘れてはいけない。

苦境を苦しい状況と捉えてしまうのも人間あるあるだ。苦しいの境目が苦境なのだとした、その境目は楽しいと苦しいの境目がそこにあると思っている。苦境を感じる時にこそ、よくできるチャンスセンサーが働いているラッキーと思うバカポジティブな性格で生きている。

退屈と感じる心も、苦しいと感じる心も、常に自分自身の数メートル先で起きていると感じる。これから退屈がくるぞ、これから苦しいがくるぞ、とまるでドライバーの目の前に現れる青看のように予告のような予感のようなアラートとして立ち上がる。

僕たちは僕たちの人生を運転するドライバーみたいなもので退屈や苦しいにハンドルを傾けることもできるし、その反対の選択肢へ舵を切ることもできる。しかし、今までの人生経験で反対側への舵きりはグッと重たく力がかかることを知っている。

もう一つ人間としての抗えない側面が「楽をしたい」という本能がある。さほど強い意志がない限り、ハンドルが軽い方向に僕たちは進んでしまう。そして、人生には高速道路もあれば下道もある。ブレーキを僕らは踏めるということも忘れがちだ。

人生も、経営も、むずかしい。
なぜならそれらは初見プレイのゲームみたいなものだから。ビデオゲームのような攻略サイトは存在しない。そして、各々の人生は多くの固有性を孕んでいるがゆえに王道的な攻略方法はない。まるで迷宮のようなものを僕らは遊んでいるし、そこで迷子に苦しんでしまうと人生や経営は辛いものとなるし、迷うことを楽しめればそれらは娯楽へと変わる。

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