小さな行動でも0より1を
初めての部活のことを考えていた。少年サッカーとか、地元が北海道なのでスキー少年団とか。中学ではバスケ部だった。高校は遠すぎて帰宅部。大学ではバンド。もちろんずっと野球部!って人もいると思う。この部活の最初の頃のことを考えていた。
期待やら不安やらが入り混じった心持ちだったなと。でも、その根底にはワクワクする気持ちがあって、とても不思議な時間だった。隣に並ぶ同期の奴らは背丈も特技も違って、その部活ごとの役割を見出していく。ポジションが与えられていく。思い返すと全て攻める側の役割が多かった。今もさほど変わらないのだなと思う。
大人になると部活的な時間は減ってきて、いやほぼ皆無か。なんというか大人になる。36歳にもなると、もう部活の空気を思い出すのですら結構大変だった。でも、部活入りたてのあの空気をなんとなく忘れると痛い目にあうんだなと最近は思っている。Mr.青二才な空気。
巨大な企業でもない限り、小さいお山の大将みたいなポジションにどうしてもこの年齢になるとなってしまう。そこで人は調子に乗ってしまうことが多い。そこで思うのが例えば部署でも、組織でも、一番スタートラインの人と同じマインドでいることが何より大切だということ。
新人たちは企画書の書き方で悩むけど、僕はスラスラ書いていく。
これは年齢とかではなく、その試合にたくさん経ったからだけであって、別に偉いわけじゃない。これを偉いと勘違いする。自分すごいとか。
そりゃたくさん打席に立てばコツを得るし、経験上これはボール。とか言える。スタートラインの時に自分はどうだったか?と考えると、新人よか低い位置でスタートしていたりするものだ。最近の若者はすごいのよ。
人の理想は学び続けて成長し続けていくことだ。
これが停滞すると、僕らの業界で言えば死を意味する。
置物と変わらない。漬物石の方がまだ文句を言わないし言い方かもしれない。そんな存在になってしまう。こうなっては取り返しがつかない。
学び続ける姿勢を忘れないためには、アホみたいなこと言うけど「学び続けるしかない」わけで、この学びたい!という気持ちは部活の最初のころの空気を帯びなければ起きないモチベーションだなと思ったのだ。
大人になると下手くそなことや苦手なことを避ける知恵がつく。
それが生き物そのものに組み込まれた生きる知恵だから。
そのコードを書き換えるように青二才に戻る設定を自分で作っていかないと置物になる。学ぶべきものは無限にある。今は見てみないフリしていた経営とか数字のことをしっかり学んでいる。よくよく見ると結構面白い。これって面倒くさそうな人から届いたメールを明日にしよう!とポジティブにスルーするマインドと一緒やんって思う。早く見とけば良かった…って翌日後悔するんよ。でも冷静にみたらそう難しいことじゃない。
なので、小さい行動。最初の一歩をとても大切に思っている。
これを避けると何も始まらない。最近はそれを痛感している。
実にたくさんのことから目をそらしているなと改めて思う。その中で一番実はやばいと思っている物に思い切って目を向けてみる。
そうすると鼻の奥のあたりにあの頃の部室の匂いがツーンとして意外と向き合える。できることを一歩ずつ。小さな行動でも0より1を。
いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。