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はたして未来は暗いのか?

食糧危機や自殺問題に関する仕事が舞い込み様々な専門家らと話をしている。同時に出版されている該当書籍を読みあさり、無知ながらも仮説だてした計画の答え合わせを連日行っている。

これがまた非常に暗い未来だ。インプットしながらも「人類、つんでるやん…」と口に何度も出してしまうほど逼迫した状況である。僕ら生活者はその暗い底の見えない穴を覗き込まないように生きている。本能的ともいえるが、現実逃避という言い換えも可能だ。

食や自死という複雑な問題は、複数の要因が絡まり合ってもはや一つの個体にすら見えるほどだ。それを一つ一つ解いていく。それぞれは決して簡単ではないが解決可能な範囲であることがわかる。そう、時間があれば。

この複雑な問題のゲームルールを改めて認識したのが、時間が限られているということである。一定に時間は流れているが大抵の問題は右肩上がりの倍々ゲームで肥大化する。インターネットの普及率とかデータ送信量のように右肩上がりどころか天井知らずの壁のような跳ね方をする。

わかりやすく説明すると、テトリスの最後の方みたくなる。落下速度が上がるゲームの中に僕らはいる。

どんな仕事の相談が来ても、僕はそれをゲームに置き換える。そこには必ずルールがあってクリア条件が決まっている。今回来ている相談は今までの中でも最上位クラスに難しいゲームだ。もはや僕1人の思考ではクリア不可能なのでドラクエのように仲間を増やし個別の頭脳を接続して戦うしかない。

僕が人に自慢できることといえば野生の感が恐ろしく精度が良いということ。従来では蓋をしていたかもしれない複雑な問題に自分からからみにいっている。これはおそらく深遠な深い穴を今のうちに覗き込んでおく何かしらの理由があるのだと思う。その感の根拠はいまだにわかっていない。

鼻と鼻が接するくらい寄る時もあれば、宇宙から地球を見下ろすほど引いてみているときもある。その双方を高速で行き来していると、全ての問題は全て連環しあっていることがわかる。自死も食も環境も。問題が連関しあって複雑化を進めるのであれば解法もまた連関しあって作用し合うだろう。それを僕らは探そうとしている。

これらは無数の目に見えない紐でリンクされており、それに目を凝らす。
特定のほつれを治すことで予期せぬ別の課題が解決する。同時に問題が起きれば、想像つかない別の課題が噴出する。とても抽象的な表現をすると点と線で全ては繋がっており、このような課題が起きているのは点の構造だったりする。

昔から一つずつ点を打ち続け、線を繋ぎ続けてきたのが人類で、その点が可変性を考慮していない構造体であることが多い。説明が難しい。例えば鉄の釘とゴムの釘(があるのかわからないが)だと、後者の方が引き合う力を一定良吸収することが可能だ。しかし鉄の場合は微動だにしない。そこで線の限界もしくは鉄の構造の限界がきて崩れる。

期待すべきは次世代の点は可変可能な構造体が多い。そして肥大化を目指さず分散化を選ぶ傾向も強い。もし大きな問題が起きても無数の柔軟な点のメッシュネットワークでギリギリ分散して耐えることができる。

古い時代から作られてきた硬い構造体によって世界のほとんどは構築されているので問題が起きた時に大きな損害がでる。そのリスクを避けるために巨大に強固になっていくしかなく、それが柔軟性に欠けた今の状態を生み出している。これらがここ数十年で入れ替わっていくがその速度が早いか、今抱える問題の深刻化が早いかが難しいところだ。

なんて難しいことを考えながら仕事をしていて、考えが深まりすぎ社員の誰にも相談できないディープな仕事になってしまってパッツパツ。

でも、もしかしたらここでの発想が未来の食糧危機を少しでも改善できるかもしれないし、誰かの自死を食い止めるかもしれないと考えると働く意味もあるってもんだと思うのだ。

いやこれ以外にも商業的なお仕事も併走しています。
しかし徐々にその割合は変わっていくのだと思います。テトリスのように僕らに残された時間はさほど多くはないから。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。