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自分という森からでしかできない果実がある

スケジュールが真っ赤でグロテスクなタイムテーブルで毎日を過ごしている。スケジュールやばいっすね…と社員に言われるが、忙しさが嘘のように心も体も軽やかである。ストレスもない。自分の仕事なんだなと思う。
自分の仕事ってのは、苦しくもなんともない。楽しい登山に近いなと思う。

若かりし頃、自分らしい仕事というものが何なのかわからずに悩んだことがある。酒を飲んだら忘れたが、一時的なもので時折頭を過ぎる。「らしい」とか言ってるのがよくないんだと気づく。自分を作っていく。そういう視点の方が正しいと気づいたのはだいぶ先の20代後半だった。

何かを生み出すのは人だ。仕事が何かを生み出すのではなく、携わる人が生み出す。そういうシンプルなことになかなか気づけないものだ。盲目的になるというか近視眼みたいな感じで。ありがたいことにたくさんのプロフェッショナルと仕事をともにすることができる。その姿を見るたびに学びがある。

もっと良くなろう。その選択肢の一つ一つが自分を作っていくのだと気づいた。なので選択は重要だ。高速にじっくり考えて決断する。それが自分になる。そういうことを繰り返しているある日に会議のちょっとした瞬間に「松倉さんらしい視点ですね」と言われて、ハッとした。そう言えばそういうものをかつては探していたんだって。そして、その視点をめちゃくちゃかっこいいと褒めてもらえた。とても嬉しい。

ある仕事の視察でぶらっと森を歩いていた。
木を見て森を見ずという言葉があるなぁと思いながらシャッターを切る。
もしかして人って森なのかもしれないと思った。自分はどんな木になろう。どんな果実を咲かせようとか考えていたのかもしれない。でも、多分それは違うのだろう、森なんだと思った。

自分という森に何かの選択で一つ木や植物が生える。
川が流れることだってあるだろう。そこに生き物も住みだすはずだ。
一つの植生から、少しずつ広がって様々な出会いや気づきや学びで少しずつ森が広がり豊かになっていく。自分という森からでしかできない果実がある。それが自分の仕事なんだと思ったのです。

家族が寝静まったリビングでそんなことを思い返していた。
娘が「世界に名探偵っているのかな?」とか「水だけのお店ってあるの?」とか「夜の道路きれいやな!」いろいろ話しかけてくる。
息子が「新しいヨーヨーの技できるようになった!」とか「パソコンの隣の箱みたいなのなんなん?」と聞いてくる。

そういう気づきや疑問の一つ一つが彼らの森に影響を与えるのだろう。
子供に比べると僕の森はだいぶ大きいのだな。子供はまだ原っぱくらいかもしれない。そういう視点で見ると、うちの社員もお客さんも友達も飲み屋で会う知らない人も、みんな個性的な森に見える。ジャングルみたいなやつとか、疲れ果ててくたびれた森とか。いろいろだ。

気付けば自分の森は他とは違うものに育っていた。
本当、気付いたらそうなっていた。自分という森を想像するとぐっとわかりやすくなるなぁと思った土曜日の夜。

それではみなさんおやすみなさい。


いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。