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太宰治『おしゃれ童子』読書会(2022.9.30)

2022.9.30に行った太宰治『おしゃれ童子』読書会のもようです。


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青空文庫 太宰治『おしゃれ童子』


朗読しました。


前略、おしゃれ番長さま

 

私が、おしゃれに目覚めたのは、中学生になってからだった。同級生におしゃれ番長のようなやつがいて、そいつらが、ファッション雑誌など読んで、リーバースのジーンズについてしゃべていたような記憶がある。

ゲーセンなどに遊びに行くようなちょっと不良な(本格的な不良ではない)おしゃれ番長の彼らに、私は、私服を馬鹿にされた。だから、街にあった洋服屋に、彼らと一緒に買い物にいって、全身、見立ててもらったのである。

それまでは親が買ってきた服しか着てなかった。それからは、小遣いをもらって、自分で服を買いに行くようになった。

しかし、自分でセレクトした服は馬鹿にされた。センスがないのである。悔しいので、ファッション誌を買ってコーディネイトを研究するようになった。実は、おしゃれになりたいというよりは、おしゃれ番長たちに、馬鹿にされたくなかっただけである。ダサイといじめられるのである。いじめられると結構こたえたので、必死だった。

 

90年代はじめはアメカジ全盛であった。友人と被らないように申し合わせて、ジーンズやMA-1(今ではボンバージャケットというらしい)、そしてこの作品のようなフランネルのシャツ、つまりネルシャツをつぎつぎ買った。エアマックスは、流行る前からもっていた。

すると、てきめんに、同級生の不良がかった女の子からモテはじめたのである。いつもは私を小馬鹿にしていた彼女らである。休日、おしゃれ番長たちとうろついていたとき街中で出会ったせいである。ファッションの威力を思いしった。

 

ジーンズには、500台の型番がどうだとかリベットの数がどうだとか、色落ちがどうだとか、うんちくがいろいろあった。

個人経営のセレクトショップのようなアメカジの洋服屋も、長野市の街中に結構あった。(今ではほとんど潰れている。)

『おしゃれ童子』では海軍士官風のコートを誂える様子が描かれている。欧米コンプレックスである。

考えれば、ジーンズは労働者の作業着だし、MA-1も編み上げブーツも軍服である。

なんで日本人が、アメリカの労働着や軍服をおしゃれとして着るのか? これには、戦後の焼け野原の日本が、米軍物資の横流しからはじまったという敗戦の民族的屈辱からはじまっている。アメカジとはアメリカの古着を買うことだった。90年代はそうだった。代官山にアメカジ古着ショップがたくさんあり、雑誌によく載っていた。

よくよく考えれば政治的には、アメリカへのあこがれとコンプレックスという屈折した感情があるのだが、中学生にはそんなことはわからない。

田舎のおしゃれ番長いたっては、アイテムで「はずす」という概念を駆使して、ある日、ジーンズを裏返して履いていた。

今考えれば若気の至りである。おしゃれ童子が、おしゃれのために消防の紺の股引を履いてヤクザを気取ろうとするのと50歩100歩である。

 

現在の私は、この夏、3シーズン目に突入したユニクロの色あせたTシャツとステテコで暮らしていた。

ユニクロはすごい。アメカジへのコンプレックスを駆逐した。ネルシャツもジーンズも、当時よりもデザインも品質も高いものが、半額以下で買えるのである。そして、ハイブランド以外は、ファストファッションがあたりまえになった。

外出も今は、もっぱらユニクロである、最近は、ユニクロも高いので、ドンキでもっと安い服を買おうと思っている。おしゃれする余裕などない。そこら辺のおじさんは、自分よりひどい格好なので、出かける場所を間違えなければ、別段、気にならないのである。というか、もう、十分おじさんなので、おしゃれの本能も弱まった。いずれ太宰のように、よれよれの浴衣で過ごすようになるかもしれない。今も若干、おしゃれの本能は、あるんだが、不如意ゆえ、仕方ない。ぴえん。

おじさんの「ぴえん」は痛い。知ってる。知ってて使っている。

(おわり)


読書会のもようです





お志有難うございます。