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坂口安吾『母の上京』読書会(2022.4.1)

2022.4.1に行った坂口安吾『母の上京』読書会の模様です。

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青空文庫 坂口安吾『母の上京』

『心の中に住む母』

 

ウクライナのマウリポリを取材したアメリカ人ジャーナリストのYouTubeを見ていた。廃墟と街の集合住宅の前で、生き残った住人たちが焚き火で食べ物を温めながら、取材に答えていた。曰く、親戚や友人がどうしているのかもわからない。遺体がいたるところに転がっている。金のためにこんな状況を作った政治家は最低だ。これは、お前らアメリカ人が作り出した状況だ。云々。

男は、取材に答えるうちに感情がコントロールできなくなったのか激怒して怒鳴りだした。しかし、この住人たちは、戦火の中でも生き延びているのである。

 

『母の上京』には、家族を戦争で失い、生きるために闇屋になったり、体を売ったりせざるをえない境遇に落ちぶれた主人とその隣人家族の生態が描かれている。

 

隣人家族の歌舞伎の女形志望者のヒロシは路上で春を売る。おでん屋の娘は、焼け跡の中に人生の女王の時期を迎える。

 

戦争を知らない我々戦後世代は、戦争状態というものが、人間をどういう精神状態に陥れるのかわかっていない。

戦争のもたらす淪落という言葉の持つ様々なニュアンスは、文字で読んで想像しても、わかるようでいて、よくわからない。『淪落世界の意外に温帯的な住み良さ』というのも、体験しなければわからないだろう。

 

(引用はじめ)

 

世の常の道にそむいた生活をしていると、いつまでたっても心の母が死なないもので、それはもう実の母とは姿が違っているのであるが、苦しみにつけ、悲しみにつけ、なべて思いが自分に帰るその底に母の姿がいるのである。切なさ、といふ母がいる。苦しみ、というふるさとがある。

 

(引用おわり)

 

娘の体を売るしょうもない母でも、その母の純潔を祈る娘がいる。

地方の旧家の家制度の中で、倫理的な純潔を貫いてきたであろう母の上京を恐れる四十の夏川がいる。

淪落の底には『心の中に住む母』がいると坂口安吾は考えた。

 

戦争は、人間から倫理観を徹底的に奪い去る。人間から道徳や倫理を奪い去って、正視に耐えぬまで堕落させる。

しかし、坂口安吾は、人間は、『堕ちぬくためには弱すぎる』と『堕落論』に書いている。

実在の母とは別に、『心の中に住む母』は、何度でも、倫理観を携えて、目の前に現れる、と彼は考えた。

『心の中に住む母』とは、彼岸におわす阿弥陀如来みたいなものなのだろうか。

人間は歴史の叡智のうちに、伝統と習慣の形式をあみだし、それが、落ちきるほど強くはない人間の、徹底的な淪落を防いでいることを彼は描いているように、私には思えた。

ヒロシの哀しい品格も、人間の淪落を防ぐものなのだろう。

(おわり)

読書会の模様です。


お志有難うございます。