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トルストイ『戦争と平和 エピローグ第一篇、第二篇』読書会(2024.5.31)
2023.5.31に行ったトルストイ『戦争と平和 エピローグ第一篇、第二篇』読書会のもようです。
解説しました。
私も感想文を書きました。
7ヶ月間に渡りお付き合いありがとうございました!
ナターシャの問いただした『あの女(P.371)』の正体
NHKBSで放送していた歌舞伎役者の尾上菊五郎の『100年インタビュー』という番組を見ていたら、最後に尾上菊五郎が面白いことを言っていた。
現代の若手歌舞伎役者にアドバイスありますか? とインタビュアーに問われ、尾上菊五郎氏は、ぜひ若手皆で『忠臣蔵』をやってほしい、と答えていたのである。なぜなら、その時代、時代の芸に脂ののった世代が、揃い踏みで『忠臣蔵』を興行するのが、歌舞伎の伝統では重要なことである、尾上氏も市川團十郎や、幸四郎、玉三郎らと『忠臣蔵』を演じたことが役者人生の最良の思い出だ、みたいなことをいっていた。
そんなインタビューを見てから、思い出して、録画してあった大映制作の『忠臣蔵(1958年)』をみた。長谷川一夫、市川雷蔵、鶴田浩二、勝新太郎などが出演するオールスターキャストの作品である。最近、私は『座頭市』や『眠狂四郎』『銭形平次捕物控』などまとめて大映の人気シリーズ映画を見たので、普段は見ることのできないオールスターの競演はいいもんだと思った。その当時でも撮影が難しかっただろう。歌舞伎でも映画でも、オールスターキャストの『忠臣蔵』をその世代、その世代で形にして残すのが、日本文化の伝統の継承として大事なことなのかもしれないと思った。
トルストイは、『デカブリストの乱』を描きたくて、その前段階として『戦争と平和』を描いたそうである。よく考えれば、『デカブリストの乱』はロシアの『忠臣蔵』みたいなものである。前者は失敗したクーデターだが、後者は成功した仇討ちである。参加したものそれぞれに事情を抱えており、ドラマチックな要素がふんだんに盛り込まれており、舞台にしても映画にしてもおそらく、見どころ満載である。
『デカブリストの乱』をトルストイが描き切れれば、ロシアの『忠臣蔵』になっていたかもしれない。しかしその後のトルストイは、『アンナ・カレーニナ』や、『復活』などの大作で、ロシアの支配階級や国家制度の批判に軸を置いた。浪花節的な『デカブリストの乱』なぞ、トルストイは描かなかった。戦後GHQが『忠臣蔵』を反動的作品ということで禁止したように、デカブリストの悲劇なぞ描いていたとしたら反動的な作家ということでトルストイの評価も下がっただろう。
それは、それとして「エピローグ第一篇16」でナターシャの口にした『あの女』(P.371)とは誰か?
この難問に、私は、読了後、丸一日、頭を痛めていた。そして、頭にひらめいた。
おそらくは、ロシア人読書階級も気づかなかったであろう、その「あの女」の正体を、ついに私は発見したのである。
「あの女」こそが、「マトヴェーヴナおばさん」である
トルストイの仕掛けた謎が、こうして解き明かされた。
あれだけマトヴェーヴナおばさんをこすり続けた、慧眼な読み手である玉井さんがそこに気づくかと思ったが、玉井さんからメールで送られてきた感想文をつぶさに読み、パンケーキ云々の立直はあれど、おなてん(ネタかぶり)していなかったので、ここぞとばかりの追っかけ立直である。
(結果は、マトヴェーヴナおばさん=1筒ツモ 立直一発門前裏裏(これも1筒)5翻 満貫である ありがとうマトヴェーヴナおばさん)
負傷したニコライを載せて退却したあのマトヴェーヴナおばさん。
シェングラーベンの戦いの最終兵器としてナポレオン神話の崩壊の序曲を奏でた女神は、ボロジノ戦にもモスクワ陥落にもナポレオン追撃にも沈黙していたが、1820年の12月にようやく主人公たちの会話に中に降臨したのである。
ナターシャの『あなたあの女(マトヴェーヴナおばさん)にあったの?』
ピエールの『いや、それに(マトヴェーヴナおばさんに)会ったって、わかりゃしないよ。』
そりゃ再会したって、ロシアの女神、マトヴェーヴナおばさんをわかりはしない。
だってこの世を超越した存在だもの。
この最終部に唐突にぶっこまれたシュールすぎるおもしろやりとり!
最初の表題だった「終わりよければすべてよし」も、「マトヴェーヴナおばさん」の伏線の回収にかかっている。
マトヴェーヴナおばさんですべてよし、ということだ。
ナターシャとピエールのこの禅問答こそ、トルストイの『異化(オストラニェーニエ)』(P.498)という文学的技法の最高峰であり、チェーホフの小賢しいユーモアをふっとばし、ゴーゴリの鼻をもぎ取り、カフカの不条理をも霞ませる威力を放っているのである。
世界最大の文豪、トルストイの面目躍如である。
そして、マトヴェーヴナおばさんとプラトン・カラターエフとじゃがいも、のこの3つこそが、トロイカ(三位一体)となってロシアをナポレオンから救った民族的な力の源泉となったのである。
以上のことは、全て、私の直観で読み解いた。
「あの女」は、「ドルベツコイ公爵夫人」ではないかとかいう、くだらない異論は受け付けない
みなさま半年以上にわたってお付き合いいただきありがとうございました。
ほとんどの人が挫折し、一生に一度読むかわからない大作なので、じっくり読んだということは、世間に自慢できると思います! 私もロシア文学科出身なのに読んでいないという負い目がなくなりました。よかったよかった。
(おわり)
読書会の模様です。
お志有難うございます。