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トルストイ『戦争と平和 第四部第三篇、第四篇』読書会(2024.5.10)

2024.5.10に行ったトルストイ『戦争と平和 第四部第三篇、第四篇』読書会のもようです。

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解説しました。


私も書きました。

愛するための条件


(引用はじめ)

ピエールは自分の数奇な体験を、今まで一度もだれにも話したことのないようなかたちで、自分自身今まで一度も思い出したことのないようなかたちで、話していった。彼は、自分自身が体験したあらゆることに、今あたらしい意味を見出したかのようだった。今、彼がこういうこと全てをナターシャに話しながら、めったにない陶酔を感じていた。それは女性が男の話を聞いているときに与えてくれるものだった。それは話を聞きながら、自分の頭を豊かにするために、そして、何かのときにそれを自分のことばで話すために人の話を覚えようとしたり、あるいは人の話を自分流に作り変えて、自分のちっぽけな知性のいとなみのなかでこしらえ上げた気の利いた話を、なるべく早く人に伝えようと努める賢い女のものではない。それは男の発揮したもののなかにあるもっともよいものを残らず選び出し、吸収する能力に恵まれた真の女性の与える陶酔であった。(P.226~227)

彼女はピエールの一語も、声の震えも、目付きも、顔の筋肉が引きつるのも、身振りも逃さなかった。彼女はまだ口に出されていないことばを宙で受け止めて、大きく開いた自分の胸にまっすぐ持ち込み、ピエールの心のいとなみの秘められた意味を、突き止めようとしていた。(P.227)

(引用おわり)

この部分は従姉妹の公爵令嬢に対するピエールの態度の変化と対をなしている。公爵令嬢は、以前はピエールの視線にどこか自分に対する無関心と冷笑を感じて、憎んでいたのだが、今は、彼女の精神生活の一番奥底まで掘り下げてくれるような関心を持ってくれているように感じて、ピエールに好意を感じるようになった。(P.196)

ピエールは捕虜生活のなかで、ナターシャはアンドレイを看病するためにストッキングを編み、彼の死後、喪に服するなかで、戦前のロシアにあった社交生活のような表面的な、チャラチャラした、ちっぽけな賢さを早急に交換しあうような生活を切り捨てて、自分一人きりの心の営みというものに長い期間向かい合った。

ロシアの民衆は無知蒙昧であり、それに精神的に深く結びついているようなクトゥーゾフやプラトン・カラターエフも、近代市民社会の知性から見えれば、切れ味の鈍いナイフのようなものである。しかし、その鈍さでしか彫りだすことのできないよきものがあるのである。

ピエールもナターシャも、この戦争から学んだことがある。人間への関心である。
現代にも同じことが言える。表面的な知性は、ファスト教養として溢れているが、人間への関心はますます失われている。お互い話を聞かずに、賢いと思う自己主張をぶつけ合ってコミュニケーションと称しているだけだ。

『マリアは話を理解し、ピエールに共感したものの、今では自分の注意を呑み尽くしている別のものに目を留めていた。彼女はナターシャとピエールのあいだに愛と幸福が望めそうなことを見て取ったのだ。そして、はじめて彼女の心に浮かんだこの考えが、彼女の心を喜びで満たした。』(P.227)

現代のコミュニケーションにはお互いを利用しあおうという打算はあれども、吸収しあう陶酔は少ない。そして、愛されることを望むテクニックは溢れているが、結局、受け身の愛が与える幸福感や陶酔は、一時的なもので長続きしない。

「愛するための条件」として、エーリッヒ・フロムは『自己規律』『集中力』『忍耐力』『最高の関心』の4条件を挙げている。
ピエールもナターシャも、それぞれの戦争体験の中で「愛するための条件」を学んだのだ。

(おわり)


お志有難うございます。