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美しい子育て

児童虐待相談の対応件数が1990年の1101件から2019年には19万3780件。これは体罰を虐待と捉える考え方が浸透した結果も大きいだろう。

しかし、このコロナ禍で児童虐待が増えているのは、まだまだ体罰を「しつけ」のつもりと正当化する考えがあるようだ。

しつけ(躾)とは、人間社会・社会集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち居振る舞いができるように訓練すること。(ウィキペディア)
社会生活に適応するために望ましい生活習慣を身につけさせること。しつけの目標は,社会生活の秩序を守り,みずから生活を向上させていくことのできる社会人に育て上げることである。また,しつけを効果的に行うためには,成長段階に応じた適切な方法をとることが必要である。すなわち,乳児期から幼児期にかけては親が範を示して根気よく繰返し,叱るよりも,上手にできたときにほめて力づけ,理解力が深まるにつれて説得に主眼をおくようにするのが望ましい。(ブリタニカ国際大百科辞典)


1970年代生まれの私は親に叩かれたこともあったし、学校では正座させられた上に乗られた記憶もある。そのしつけによって規律や礼儀作法が身についたとは思ってない。あの時も、今思い返しても、世の中の不条理を思い知らされただけだ。

しつけとは仏教用語で習慣を意味する「習気(じっけ)」が由来で、子が不安定な時に親があやし、心地よい状態へ戻す手助けを繰り返すという説もある。

「子は親の鏡」とはよく言われる。

「習気(じっけ)」のように子の情緒的不安定を親が良い状態に戻す手助けをし、親が社会性のある言動をしていれば、子は親の背中を見ている間に、社会での振舞いを身につけるのではないだろうか。

日本は元々、しつけに暴力を使わない国。幕末から明治初期に訪日した西洋人は「日本人は子に体罰を与えない。世界で最も子に優しい国」と感想を残している。しかし、明治の西洋化政策で子を叩かない文化を手放し、フランスやドイツを手本に親権懲戒権を盛り込んだ民法を制定。その後、欧州では子の権利への意識が高まり、懲戒権を廃止。日本もやっと法改正の動きが出てきた。(山梨県立大 人間福祉学部教授 西沢哲)

ある高齢者(戦時中に小学生)の話を聞いたことがある。戦争が始まる前は優しい男性の音楽の先生だった。しかし戦後、その先生は人が変わったように厳しく指導するようになった、と。

「躾」とは「身」に「美しい」と書く、いかなる暴力、暴言にも美しさはない。体罰をする大人に「躾」を語る資格があるのだろうか。

しかし一方で、我が子に体罰をしてしまった親も体罰はよくないとわかっていても、子育てに追い詰められて手をあげてしまい、反省する人もいる。

やはり自分がされたことは、記憶の隅に残っており、いざ自分がその状況に追い込まれた時、同じ行動を再現してしまう。これもまさに「子は親の鏡」か。

この負の連鎖を断ち切るために。私にはハリール・ジブラーンの言葉が思い出される。

「あなたの子は、あなたの子ではありません」






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