風を感じる
3月7日中日新聞「中日春秋」から、混迷と混乱のミャンマー「何人分の死体があれば国連は行動してくれるのだろう」
現地の若者がプラカードを掲げている。米英と制裁に慎重な中国の足並みがそろわない。そして犠牲者が増えていく。
「いったい何回、顔をそむければ見なかったふりができるのか」
ボブ・ディランの「風に吹かれて」。武器が永久になくなるまでに何度砲弾が飛び交わなければならないのか。ノーベル文学賞を受けたシンガー・ソングライターが21歳の時に書いた歌詞は人間が抱える問題はいつ解決するのかと問い、「友よ、答えは風の中だ」と歌っている。
現代社会における子ども虐待やいじめ、親子関係にまつわる事件。
その背景には親の社会的状況と、親が認知する社会でこれから生きることになる子への不安があるのではないか。
それらは事件を起こしてしまった人を罰すればことが終わるということではない。また、そういう事件が起きないように、刑事罰を重くすれば、事件が起こりにくくなるというものでもない。
そういう事件の背景にある現代社会の「風」を感じて、顔をそむけず、自分事として捉えることが大切ではないか。
違和感とは、目に見えるものではなく、感じる「風」のようなものだ。
現代人は何かと忙しく、自分の体に起こる違和感も感じたはずなのに、感じないふりをする。そして、いつしかそれが当たり前になる。
目に見えない風を感じたなら、そしてその風は人が起こす風なら、その風を優しい風に変えることもできるかもしれない。
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