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【旅の徒然】変わるものと変わらないもの、変化への対応について

旅というのは面白くて、人によって定義が様々だ。観光地を巡る人、旅先の歴史文化に触れる人、現地の方との会話を楽しむ人など、人の数だけ旅の形はある。

僕は今、GWの長期休暇を使って旅に出ている。僕の旅はというと、旅先の歴史や文化を知るという意味合いが強い。時間がパツパツの時もあれば、スカスカの時もある。

旅の半ばの徒然に、ふと感じたことを書いてみようと思う。

社会人初の長い一人旅に出た

神奈川県出身の僕は、西日本にあまり馴染みがない。しかし、四国や九州を訪れた友人から話を聞くと、皆が口を揃えて良いと言う。

新しい職場に入り、ちょうど1年が経つタイミングであったから、僕はGWを利用して九州と四国を旅することにした。日数にして合計13日間である。大学2年生の東南アジア一人旅以来の期間であったから、僕のワクワクは大きかった。

屋久島
鹿児島
熊本
愛媛
香川
徳島
淡路島
和歌山

全部で8つの地域を回るのだから、受ける刺激は大きい。

僕の旅のスタイルは大学生の頃からいたってシンプルで、Skyscannerで最安の飛行機を探し、Booking.comでコスパの良い宿を探すというものだ。

今回もご多分に漏れず、いつもと同じように旅のルートを設計したのだけれど、最初の目的地である屋久島に着いた時、今までとは違う違和感があった。

屋久島のドミトリーに着いて

僕は、長期旅行の時は泊まれれば良いと考えているため、滞在先を決めるときは、エリアが良くて、かつ最安のドミトリーを宿泊先に選ぶ。

屋久島では、1泊3,000円のドミトリーを選んだのだが、今までドミトリーに泊まっていた時と感覚とが違うのだ。

大学生の時は、とにかく安ければ良かったから、マレーシアで1泊400円の宿に泊まったこともある。今でも忘れられないくらい汚かったが、当時はそんな宿に泊まれる自分がむしろ誇らしいと思っていた。「これぞ旅人」という感じだったのだと思う。

ただ今回の屋久島では、シングルルームでないことに対して(ドミトリーを皆で使うことに対して)不満足感を持っている自分がいたのだ。

成長したような、我欲が強まったような、嬉しくもあり悲しくもあるような、そんな複雑な感情になった。

ぼろくて汚い宿に泊まっていた自分を知っているので、この感覚は衝撃だった。たった5年かそこらしか経っていないのに、自分が宿に求める基準は変わってしまったのだろうか。

そういえば、『深夜特急』の作者である沢木耕太郎も、著書の中で同じようなことを感じたことがあると書いてあったような。

もしかしたら、旅をし続けるというのはまるで、自分自身を定点観測するかのごとく、自己の内面の写し鏡になり得るのかもしれない。

そんな自身の変化に気づいた屋久島であったが、そんな感情がどうでも良くなるくらい、太古からの大自然は雄大で神秘的であった。

旅で感じた変化の正体は何か

旅というのは、新しい外部環境からの刺激を受ける場でもあると同時に、誰も自分を知らない場所で、自身を内観する場でもある。

そこで、自分が屋久島で感じた違和感(ドミトリーでは満足しなかったこと)について考えてみた。

人間は、自身のセルフイメージに基づいて、様々な行動をするらしい。詳細は忘れたが、どこかの学問でも証明されているはずだったと思う。

セルフイメージとは、自身は○○であるという自己認識のことであり、言語化されているかどうかに関わらず、これは誰にでも当てはまる。

大学生の時、ドミトリーを楽しんでいた頃の僕のセルフイメージはというと、貧乏旅行を楽しんでいる自由気ままな自分というところだろうか。放浪していることがカッコよくて、むしろ不便を楽しんでいる自分が素敵というセルフイメージだったと思う。

数年経った今、自身を内観すると、当時の自分像は無意識のうちに変わっていたと思わさせれる。

都市でせっせと働くようになり、面接官という立場で、毎日就活に奮闘する学生さんと話すようになったからだろうか、「前よりカッチリしなければ」という無意識が、自身に芽生えているように思う。

学生の頃と比べて、より一層都市化された自分自身がそこにいると感じる。

自身の変化を感じて

「変化に最も適応した種が生き残る」と語ったのはダーウィンだが、確かに経験や時間が積み重なるほど、適応の難易度は上がるのかもしれない。

数年前までバックパッカーで貧乏旅をしている自分がカッコいいと思っていたにも関わらず、今の自分の生活はというと、東京の大都市ど真ん中にある。

自身でも気づかぬ間に、貧乏旅行をしていた自分観と、都市でカッチリ働く現実の差が大きくなっていた。

こんな時、昔の自分から今の自分に適応できない人は、進歩の機会を大きく損なってしまうのではないかと思う。

自分の置かれている現実や、日々変わっている外部環境を正しく捉えようとせず、「今までこうだったから」の一点張りだとそれは進化を止める足枷になる。

本来、人間は変化を嫌う生き物であるが、常にこういった変化と向き合い、適応しなければ、より良い生き方にならないのかもしれない。

常に変化することで、人はその時のライフステージを変えて行くわけだが、それはまた機会があったら書いてみたい。

今回はまとまりのある内容ではなかったけれど、久しぶりの旅はやっぱり良くて、初めて訪れた屋久島や、九州の大自然は最高でした。

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