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ひとりごとだけど忘れないように書く



ウクライナのゼレンスキー大統領が自分と同じ歳だと知って非常に驚くと同時に、いま自分が一国の指導者として難局に立ち向かう状況にあったら、と想像しようとしてみるけれど、あまりに自分のいる側と状況が違いすぎて、想像することすら難しい。ということに気づいて愕然としている。

わたしのたった、たった43年の人生経験では、この困難に立ち向かうことなど到底できると思えない。けれど、いままさに、この同い年の男性は、それに向き合っているのだと思うと、言葉がない。

わたしは九州出身で広島と長崎の間に生まれて、長崎の原爆は本当は北九州に落とされる予定だったのだと、毎年の夏休みに教わって育ったので、どちらかと言うとウクライナの市井の人々の状況を想像するほうが難くないと思っている。それでもやはりわたしの想像は、リアルとはかけ離れたものに違いない。


2011年には震災があって(明日でちょうど11年です、今年は同じ金曜日だ)、2020年には新型コロナウィルスが現れて、
自分のいまある日常が、立っている地面が、いとも簡単にぐらつくどころか完全崩壊することもあると気づいたはずなのに、今またウクライナで日常を奪われて、命の危険にさらされている人々がいる。

でも震災やウィルスとは違って戦争は人間が起こすもので、だから防げるもののはずだったのに、わたしたちは、どうして防げなかったのだろうと考え込んでしまう。
もちろん世界には他にも戦争や紛争下にある地域や国々があって、ウクライナだけが困難にあるわけではなくて、今になって急にショックを受けたり深刻に考え込んだりすること自体、自分の無知をさらすようなものなのだけれど。


辛かったらこのニュースと距離を置いてもいいんだよ、という意見もあってわたしもそれには一理あると思うものの、同時に考える頭は少しでも多い方が良いとも思うので、やはり無理のない範囲では関心を持ち続け、考えていこうと思う。


忘れないように、書きました。

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