湘南ベルマーレ背番号列伝シリーズ(18番編)
再開の足音が少しずつ近づいてきていますね。
今回は、全体的にイケメン要素の強めな歴代の背番号18を紹介します!
MF 小野智吉(00)
FW 坂本紘司(01)
DF 時崎悠(02)
MF 加藤大志(03・04)
MF 坂本紘司(05)
MF 池田昌広(06)
DF 財津俊一郎(07)
FW 阿部吉朗(08)
DF 鎌田翔雅(09)
FW 新居辰基(10)
DF ソン・ハンキ(11)
FW 古橋達弥(12・13)
FW 宮市剛(14)
FW アリソン(15)
MF 武田英二郎(16・17)
MF 松田天馬(18〜)
小野智吉(2000)
初代18番は、桐蔭学園高校出身のMFの小野智吉。
プロ3年目となったこの年のリーグ戦の出場はゼロ。
翌年からは横浜FCに移籍を行い、2010年の現役引退まで主力選手として活躍していました。
坂本紘司(2001)
2001年に18番をつけたのは、ジュビロ磐田から加入2年目の坂本紘司。
前年は磐田在籍時に負った負傷の影響で練習も満足に参加できませんでしたが、この年のリーグ開幕戦で念願のJリーグデビューを果たすと、一気にチームの主力選手として定着。
静岡学園高校時代からFWとして鳴らしてきた坂本でしたが、このシーズンからサイドハーフやウイングバックをやるようになり、リーグ戦39試合に出場して8得点を記録。
2012シーズンに引退するまでの間、ベルマーレ一筋で生き続けてきた坂本が湘南象徴(バンディエラ)となる始まりの年でもありました。
時崎悠(2002)
2002年に18番をつけたのは、ベルマーレ加入5年目の時崎悠。
それまではあまり出場機会の与えられなかった時崎でしたが、この年は最終ラインの一角の位置でリーグ戦27試合に出場。
翌年は背番号4に変更します。
加藤大志(2003・2004)
2003年から2シーズンにわたって18番をつけたのは、高卒2年目の加藤大志。
桐光学園高校出身の右サイドアタッカーは、ルーキーイヤーから出場機会を与えられ、主に後半途中から流れを変える"スーパーサブ"の役割を与えられていました。
スピードに乗った素早いドリブルと、正確なクロスの技術で右サイドを切り裂きまくっていた加藤は、アテネ五輪の日本代表候補に選出されたこともありました。
2003年に31試合、2004年には40試合に出場してチームに欠かせない存在となっていた加藤でしたが、2004年のオフに京都サンガへと移籍。
翌年の京都サンガのJ1昇格に大きく貢献しました。
ベルマーレの歴史を紐解いても、彼以上に"スーパーサブ"の称号が似合う選手はいないはずです。
坂本紘司(2005)
2005年に18番をつけたのは、ベルマーレ在籍6年目となった坂本紘司。
2001年以来に18番をつけることになった坂本は、リーグ戦35試合に出場して、この年も主力選手としてピッチに立ち続け、2シーズン連続でJ2リーグの10位(12チーム中)に低迷していた暗黒時代と呼ばれた時期の03・04シーズンよりはいい成績を残せた05シーズンの主力選手として躍動しました。
この次のシーズンからは8番をつけることになります。
池田昌広(2006)
2006年に18番をつけたのは、ベルマーレ加入2年目の池田昌広。
前年にJFLの佐川印刷SCから加入した左利きのサイドプレーヤーの池田でしたが、この年はリーグ戦わずか3試合の出場に留まり、シーズン終了後にチームを離れました。
その後は主にJFLリーグでプレーを続けていました。
財津俊一郎(2007)
2007年に18番をつけたのは、清水エスパルスから加入した財津俊一郎。
年代別の日本代表招集歴のあるアタッカーとして期限付き移籍で加入した財津。
リーグ開幕戦では右サイドバックとして先発出場しましたが、序盤戦でしか出場機会を与えられず、シーズン終了後にベルマーレとエスパルスの両方から契約満了を告げられてしまいました。
その後は岩手県リーグでプレーを続けていたようです。
阿部吉朗(2008)
2008年に18番をつけたのは、FC東京から加入した阿部吉朗。
ベルマーレに加入する前は怪我に泣かされていた時期が多くてその実力を発揮できませんでしたが、石原直樹と2トップを形成するようになり、さらには自身とフォワードのタイプがよく似た原竜太との激しい定位置争いを演じるようになってからは、出場機会もシュートチャンスも増加するようになりました。
加入1年目は26試合に出場して、6得点を記録。
翌年には石原直樹がつけていた背番号11をつけることになります。
ベルマーレに移籍しても、FC東京時代に愛用されたチャントをそのまま引き継げたのが大きかったのかもしれません。
鎌田翔雅(2009)
2009年に18番をつけたのは、ベルマーレユース昇格2年目のDF鎌田翔雅。
J1昇格が本格的に現実のものとなろうとしていたこの年、前年にJリーグデビューを果たした鎌田は若手のホープとして期待されましたが、精神面でのひ弱さがプレーにも表れてしまい、リーグ戦出場は7試合に留まりました。
また、シーズン中のサテライトリーグに出た試合では、あまりにもプレーの出来が酷くて20分で変えられた上に、ユース時代の恩師でもあるチョウさんからは、試合が終わっても1時間以上お説教される、なんてこともありました。
翌年はベルマーレと入れ替わりでJ2に降格したジェフ千葉へ期限付き移籍を行いました。
新居辰基(2010)
2010年に18番をつけたのは、ジェフ千葉から加入した新居辰基。
サガン鳥栖在籍時にベルマーレと度々対戦していたこともあり、"昨日の敵は今日の友"状態でベルマーレに加入した新居。
得点嗅覚に優れたスピードスターということで活躍が期待されましたが、リーグ戦では17試合無得点に終わり、公式戦での得点は天皇杯で挙げた1得点のみとなりました。
シーズン終了後にベルマーレを退団した新居は翌年、5シーズンぶりにサガン鳥栖へ復帰を果たし、シーズン終了後に現役引退を表明しました。
ソン・ハンキ(2011)
2011年に18番をつけたのは、韓国人センターバックのソン・ハンキ。
身長188センチの上背を活かした守備が武器のセンターバックとして加入しましたが、リーグ戦の出場は開幕戦の後半残り数分で出場した1試合のみ。
ベルマーレ在籍はこの年のみとなりましたが、2014年にはカマタマーレ讃岐に移籍加入し、ベルマーレとの試合にも出場しました。
古橋達弥(2012・2013)
2012年から2シーズンに渡って18番をつけたのは、モンテディオ山形から加入して古橋達弥。
2005年のセレッソ大阪在籍時にJリーグベストイレブンに選出された経歴を持つ実力者の古橋は、若手選手を引っ張るベテランプレーヤーとして下村東美と共にベルマーレに加入。
先発、途中出場に関係なく、どの時間に出ても、ワントップやシャドーのどの位置に居ても、安定感抜群のプレーを年間を通して披露。
若い選手の多かったベルマーレを背中で引っ張ってくれた古橋は、この年のリーグ戦で35試合に出場して5得点を記録。
シーズン中にはJ2通算100試合出場を達成し、J1・J2・JFLの各カテゴリーで通算100試合出場を達成した国内唯一のプレーヤーとなりました。
加入2年目の2013シーズンは、リーグカップ戦の試合中にアキレス腱を断裂する重傷を負って戦線離脱。
シーズン終盤に復活を果たしますが、契約満了によりベルマーレを退団。
その後は古巣のHondaFCへと復帰し、天皇杯ではJリーグチームに度々ジャイアントキリングを起こすチームの中心選手として現在も活躍しています。
宮市剛(2014)
2014年に18番をつけたのは、愛知県の中京大中京高校から加入した宮市剛。
前年には特別指定選手としても登録され、高い期待値を見込まれてベルマーレに加入した宮市でしたが、この年はリーグ戦3試合の出場に留まり、翌年には水戸ホーリーホックへと期限付き移籍しました。
アリソン(2015)
2015年に18番をつけたのは、ブラジル人FWのアリソン。
C契約の選手として加入したアリソンでしたが、そのJリーグデビューは信じられないほど強烈でした。
リーグ戦第2節の鹿島アントラーズ戦、1-1の後半38分に大槻周平に替わってピッチに送り込まれたアリソン。
(前日の練習で頭部に裂傷を負ったアリソンは包帯を巻いた上に、黒い水泳帽を被って登場)
ファーストプレーで反則を犯してイエローカードを提示されますが、後半アディショナルタイムに差し掛かったところで、遠藤航が右サイドからゴール前に入れたクロスボールに頭で合わせ、この試合の逆転ゴール、そして自身のJリーグ初ゴールとなる"水泳帽ヘディングシュート"を決めて、強烈なインパクトを残します。
殊勲の得点を決めたアリソンでしたが、逆転ゴールから数十秒後に2枚目のイエローカードを提示されてしまい、退場処分を受けることに。
結果的にはベルマーレが勝利してカシマスタジアムで20年ぶりとなる鹿島戦勝利を収めることになったのですが、約10分にも満たない時間でのJリーグデビュー戦で初得点と初退場をやってのけたアリソンのインパクトは凄まじく、5年経った今でも"アリソナルタイム"として、ベルマーレ史に残る伝説となっています。
この年のアリソンはリーグ戦12試合出場2得点という記録を残しましたが、2得点の内訳は前述の鹿島戦のゴールと、ホームで行われた川崎フロンターレ戦の勝ち越しゴールとなったヘディングシュート。
歴代助っ人随一の費用対効果の高さを示したアリソン。
あんなド派手なデビュー戦を飾る助っ人外国人選手はもう現れることはないでしょう(笑)
武田英二郎(2016・2017)
2016年から2シーズンに渡って18番をつけたのは、ベルマーレ加入2年目の武田英二郎。
左利きのボランチ、もしくはウイングバックもこなす利便性が魅力の武田でしたが、出場機会は少なく、試合に出たとしても体調不良に陥って前半まで持たないこともありました。
そんな武田は2017年のシーズン途中に不正脈が出ていたことが発覚し、治療のために心臓の手術を受けるために一旦チームを離れました。
翌年には横浜FCに完全移籍を行い、左サイドバックの位置で主力選手として定着。
2019年のチームのJ1昇格にも大きく貢献し、再びJ1の舞台に戻ってきました。
松田天馬(2018〜)
2018年から現在に至るまで18番を背負うのは、鹿屋体育大学出身の松田天馬。
プロ1年目の2018年は開幕戦でイ・ジョンヒョプのゴールをアシスト、続く2節の川崎フロンターレ戦ではプロ初ゴールを記録。
リーグカップの準々決勝では目の覚めるようなミドルシュートを決めたりした反面、シーズン中に計3回も途中出場途中交代を繰り返すなど、好不調の波が大きかった1年を過ごしました。
プロ2年目の昨季はというと、ボランチやシャドーの位置で攻守に関わりまくりながら、闘えるテクニシャンとしてチームの中心選手として台頭した松田は、リーグ戦でチーム最多の32試合に出場します。
チームのJ1残留がかかった昇格プレーオフでは値千金の同点ゴールを決めて、クラブの危機を救う"ペガサスファンタジーアタック"が炸裂。
ベルマーレ界隈の人たち全てを救うスーパーヒーローになりました。
そんな天馬くん、今シーズンのクラブ前期ポスターのセンターを飾ったり、ananにイケメンJリーガーとして紹介されたり、選手料理対決で焼いてる途中の餃子を素手で掴んで焦げ具合を確認したり、ケトルの中に卵を入れて爆発させたり、と、金子大毅に匹敵するかしないかの宇宙人っぷりを只今発揮中(笑)
プロ3年目の今季は負傷により少し出遅れてのスタートとなりましたが、ベルマーレの中心選手としての輝きを存分に放っています。
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