湘南ベルマーレ背番号列伝シリーズ(20番編)

リーグ再開まであと2週間となりました。

本日は、なにかと継承されがちな?歴代の背番号20を紹介します!

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FW 小松原学(00・01)
MF 田辺和彦(02・03)
FW 佐野裕哉(04)
MF 吉井孝輔(05・06)
FW 原竜太(07〜09)
MF 猪狩佑貴(10・11)
DF 三原向平(12)
MF 猪狩佑貴(13)
MF 中川寛斗(14)
DF 坪井慶介(15〜17)
DF 坂圭祐(18)
FW クリスラン(19)
FW 岩崎悠人(20〜)

小松原学(2000・2001)

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初代20番は、ベルマーレユース出身FWの小松原学。

1999年のクラブ存続危機を若手のエースとして経験した小松原は、チームの命運を握る存在としての活躍が期待されていましたが、度重なる故障が自身のキャリアにおいて著しい影響を与えたことにより、若くして現役を退くことになります。

現役引退後はスポーツトレーナーに転身、自ら整骨院を始めたり、サッカーの普及活動に尽力したりと、活動の範囲を広めています。

田辺和彦(2002・2003)

2002年から2シーズンに渡って20番をつけたのは、ベルマーレユース出身の田辺和彦。

2000年からトップチームに昇格していた田辺でしたが、ベルマーレ在籍中は出場機会に恵まれず、2003シーズン終了後にチームを退団。

ベルマーレ退団後はJFLの横河武蔵野FCでプレーを続け、主力選手として活躍しました。

佐野裕哉(2004)

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2004年に20番をつけたのは、東京ヴェルディから加入した佐野裕哉。

静岡の清水商高時代は小野伸二2世と呼ばれた才能溢れるプレーヤーでしたが、怪我の多さが玉に瑕でした。

東京ヴェルディでは出場機会に恵まれなかった佐野は、湘南加入後は前線の主軸プレーヤーとして躍動、リーグ戦26試合出場3得点を記録。

天皇杯でも活躍した佐野はこの年の活躍が認められ、翌年からは背番号8をつけることになります。

吉井孝輔(2005・2006)

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2005年から2シーズンに渡って20番をつけたのは、高卒2年目の吉井孝輔。

2シーズンに渡って度重なる故障に悩まされていた吉井は、2006シーズン終了後にベルマーレを退団。

ベルマーレ退団後はロアッソ熊本、鹿児島ユナイテッドでプレーを続け、2019シーズン終了後に現役引退を発表しました。

原竜太(2007〜2009)

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2007年から3シーズンに渡って20番をつけたのは、モンテディオ山形から加入した原竜太。

世代別日本代表の招集歴もあった原は、加入から程なくして石原直樹との高機動力ツートップの一角として君臨。
ハードワークを厭わない姿勢と、勇気あるクロスへの飛び込みでサポーターのハートをガッチリと掴み、リーグ戦39試合に出場して11得点を記録。

チャントはベルマーレ平塚時代の名助っ人外国人、アウミールのチャントを引き継ぎました。

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2008年は阿部吉朗、リンコン、トゥットらとの熾烈な定位置争いを演じることになりましたが、31試合出場で5得点と、得点数は落ち込んだものの、2トップの一角として出場機会には恵まれていました。

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加入3年目となった2009年、監督もシステムも変わった影響を受けて出場機会が激減した原は、シーズンを終えて11試合1得点という結果に終始。

シーズン終了後に契約満了を告げられ、トライアウトにも参加しましたが、2010年初頭に現役引退を表明。

現在は実家の不動産会社で働き続けているそうです。

猪狩佑貴(2010・2011)

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2010年から2シーズンに渡って20番をつけたのはベルマーレユース出身の猪狩佑貴。

主にカップ戦での出場がほとんどでしたが、シーズン終盤のリーグ戦で猪狩は試合中に膝の靭帯を断裂する大怪我を負ってしまい、長い期間戦線離脱することに。

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大怪我を負った1年2ヶ月後にリーグ戦復帰を果たした猪狩は、次の年に背番号16をつけることになります。

三原向平(2012)

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2012年に背番号20をつけたのは、神奈川大学から加入した三原向平。

当時のチームの両サイドには古林将太・高山薫という絶対的な存在が居た影響もあって、なかなか出場機会に恵まれませんでした。

ベルマーレ在籍はこの1年のみで、翌年から期限付き移籍した愛媛FCではサイドの主力プレーヤーと活躍し、その後完全移籍に移行しました。

猪狩佑貴(2013)

2013年に20番をつけたのは、ベルマーレユース出身7年目の猪狩佑貴。

自身2年ぶりの背番号20をつけてのプレーとなりましたが、リーグ戦の出場はわずか1試合のみとなり、翌年からは福島ユナイテッドへ移籍。
この年が現役生活でベルマーレでプレーする最後の年となりました。

中川寛斗(2014)

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2014年に20番をつけたのは、柏レイソルからの期限付き移籍加入2年目を迎えていた中川寛斗。

主にシャドーとボランチの定位置争いに加わっていましたが、競争の質がすこぶる高かったのもあって、リーグ戦の出場は3試合のみ。

翌年からは所属元の柏レイソルへと復帰しますが、ベルマーレで培われた走力と精神力がレイソル復帰後に大きく活かされることとなり、中川が出場した試合は負けないという不敗神話伝説が生まれるほどの成長を見せました。

2019シーズン、中川は5シーズンぶりにベルマーレに"復帰"することになります。

坪井慶介(2015〜2017)

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2015年から3シーズンに渡って背番号20をつけたのは、浦和レッズから加入した坪井慶介。

ドイツW杯日本代表、J1リーグ・ACL優勝経験といった華麗な経歴を持つ快速ストッパーは、移籍交渉時にチョウさんから発せられた「選手は何歳になっても成長できる」という言葉に導かれ、ベルマーレで加入することになった坪井。

出場機会を得た坪井は、3バックの中央の位置までこなす新境地を開拓し、30代後半の年齢ながら浅野拓磨(当時サンフレッチェ広島)とのスプリント勝負で互角の闘いを演じるなど、チョウさんから掛けられた言葉を実践出来ていました。

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ベルマーレ在籍の3年間ではリーグ戦出場28試合に留まったものの、そのプロフェッショナルな姿勢はベルマーレ界隈に大きな影響を与え、選手・スタッフだけでなくサポーターからも多くの支持を集めていた坪井でしたが、2017シーズン終了後に惜しまれつつベルマーレを退団しました。

坂圭祐(2018)

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2018年に20番をつけたのは、順天堂大学から加入した坂圭祐。

鹿島アントラーズからも獲得オファーが届いていたという逸材は、大卒ルーキー1年目のシーズンでパトリック(当時サンフレッチェ広島)、興梠慎三(浦和レッズ)、ウェリントン(当時ヴィッセル神戸)といったJリーグ屈指のフォワードたちとマッチアップしてはうまく防いだり、時には見事にやられたりしながらもセンターバックとして大きな成長を遂げ、シーズン中盤からはアンドレ・バイアから3バックの中央の定位置を奪い取り、守備の要として大きく飛躍。

三重県の四中工出身、下の名前がケイスケという共通点もあってか、チャントは坪井慶介のものを継承しました。

リーグカップ優勝、J1リーグ残留に大きく貢献した坂は、翌年にはバイアがつけていた背番号4を受け継ぐことになります。

クリスラン(2019)

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2019年に20番をつけたのは、ブラジル人フォワードのクリスラン。

2017年はベガルタ仙台、2018年は清水エスパルスでプレーした左利きの大型ストライカーで、2018年終盤に膝の大怪我を負ったクリスランは事実上の無所属状態だった為、2019年シーズン途中に所属元のポルトガルのクラブから期限付き移籍という形でベルマーレに加入。

しなやかな身のこなしとパワフルな動きでゴール量産が期待されましたが、加入から出場3試合目の試合中にオーバーヘッドキックの着地の際に肘を負傷。
2ヶ月ほど戦線離脱して復帰したクリスランでしたが、監督交代等のチーム事情のゴタゴタに巻き込まれた影響もあってか、公式戦では無得点に終わってしまいました。

クラブからの公式発表はありませんでしたが、契約満了によりベルマーレを退団した模様。

岩崎悠人(2020〜)

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今季から背番号20を背負うのは、北海道コンサドーレ札幌から期限付き移籍加入を果たした岩崎悠人。

東京五輪世代屈指ののスピードスターとして名を馳せている岩崎は、リーグ戦・カップ戦のそれぞれの開幕戦に出場。
これから湘南スタイルに溶け込んでどんな化学反応を見せるかに注目が集まります。

SNS上での貢献度は現時点でもかなり高く、女性ファンも定着しているようですね。

これで半分くらいは終わりかな?笑

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