湘南ベルマーレ背番号列伝シリーズ(26番編)

ベルマーレに来た後は水戸ホーリーホックか、ガイナーレ鳥取に行くことが多い⁉︎歴代の背番号26を紹介します!

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GK 廣石亮二(00)
GK 田草川貴(01・02)
MF サントス(03)
DF 青柳雅信(04・05)
MF 鶴見聡貴(06・07)
MF 永田亮太(08)
FW 山本孝平(09)
DF 古林将太(10)
DF 遠藤航(11)
DF 亀川諒史(12〜14)
MF 可児壮隆(15)
FW 宮市剛(17)
MF 山口和樹(18・19)
DF 畑大雅(20〜)

廣石亮二(2000)

初代26番はベルマーレアカデミー出身2年目の廣石亮二。

2年間ベルマーレに在籍していましたが、公式戦の出場はありませんでした。

田草川貴(2001・2002)

2001年から2シーズンに渡って26番をつけたのは、アビスパ福岡から加入した田草川貴。

2年間の在籍で公式戦の出場はなく、2002シーズン終了後に現役引退を表明しました。

サントス(2003)

2003年に26番をつけたのは、青森県の光星学院野辺地西高校から加入したブラジル人MFのサントス。

リーグ戦1試合のみの出場に留まったサントスは、シーズン終了後にベルマーレを退団。

ブラジルに帰国後は様々なチームでプレーを続けていた模様。

青柳雅信(2004・2005)

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2004年から2シーズンに渡って26番をつけたのは、福岡県の筑陽学園高校から加入した青柳雅信。

2004年の全国高校サッカー選手権で準優勝に輝いたチームのディフェンスリーダーとして活躍した青柳でしたが、ベルマーレでの公式戦出場は無く、2005シーズン終了後にベルマーレを退団。

その後はガイナーレ鳥取、福島ユナイテッドと渡り歩き、ベルマーレと縁のあるチームでのプレーが続きました。

鶴見聡貴(2006・2007)

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2006年から2シーズンに渡って26番をつけたのは、ベルマーレアカデミー出身のドリブラー、鶴見聡貴。

トリッキーな技術が売りのドリブルを得意としていた鶴見は、プロ2年目の2006年にJリーグデビューを果たし、主にスーパーサブとして5試合に出場。

2007年のリーグ戦開幕後にガイナーレ鳥取に移籍してからは、鳥取の中心選手として活躍しました。

永田亮太(2008)

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2008年に26番をつけたのは、立命館大学から加入した永田亮太。

京都サンガの下部組織出身で、その当時の指導者でもあった菅野将晃監督からの誘いを受けて加入。

豊富な運動量となんでもそつなくこなす万能な技術を要し、ボランチやサイドハーフの位置での出場が多かった永田は、大卒ルーキーでありながらリーグ戦33試合に出場しました。

翌年は背番号を21へと変更します。

山本孝平(2009)

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2009年に26番をつけたのは.法政大学から加入した山本孝平。

大卒のフォワードとしてチームに加わった山本でしたが、開幕直前に田原豊が電撃加入した影響もあってか、4月に水戸ホーリーホックへと期限付き移籍。

その後は都リーグでプレーを続けているらしいです。

古林将太(2010)


2010年に26番をつけたのは、ベルマーレアカデミー出身のサイドプレーヤー、古林将太。

リーグ・カップ戦において早々にデビューを飾った古林でしたが、プロ1年目のシーズンは公式戦10試合の出場に留まりました。

この翌年にザスパ草津へ期限付き移籍を行い、右サイドの職人として大きな成長を遂げることになります。

遠藤航(2011)

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2011年に26番をつけたのは、ベルマーレユースから昇格した遠藤航。

ベルマーレユースからの昇格組ながら、前年のJ1リーグで2種登録選手として試合に絡んでいた遠藤は、18歳という若さで4バックの中央の位置を任され、年間を通して大井健太郎とのセンターバックコンビを形成。

この年のチームはJ2リーグで14位という結果に終わりましたが、遠藤はリーグ戦34試合に出場して、主力選手として活躍。

この活躍が認められ、翌年からは背番号を3に変更し、さらに大きな飛躍を果たすことになります。

亀川諒史(2012〜2014)

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2012年から3シーズンに渡って26番をつけたのは、山梨県の帝京第三高校から加入した亀川諒史。

ベルマーレがスカウトしてなかったら料理人を目指していたという経歴を持つ亀川は、プロ1年目は怪我の影響でリーグ戦は出場機会がなかったものの、プロ2年目の2013年は開幕戦で途中出場ながらJ1リーグデビューを果たし、そこから徐々に出場機会を確保。

左右のどちらのサイドでプレーしていても遜色なくこなし、元フォワードならではの攻撃性能を持つ亀川は2013年のJ1リーグで20試合に出場。
ベルマーレで出場機会を得た亀川は、リオデジャネイロ五輪の日本代表候補にも選ばれるようになりました。

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13年以後のブレイクは、亀最高(カメックス)、超亀最高(メガカメックス)というインパクト絶大なキャッチフレーズをつけられたお陰かもしれませんね。

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プロ3年目の2014年、リーグ戦18試合に出場した亀川は翌年にアビスパ福岡へと期限付き移籍。
福岡の替えのきかない左サイドプレーヤーに成長した亀川はその後完全移籍を果たし、2016年のリオデジャネイロ五輪にも出場。

柏レイソルを経て現在はV・ファーレン長崎でプレーしています。

可児壮隆(2015)

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2015年に26番をつけたのは、川崎フロンターレから加入した可児壮隆。

中村憲剛2世、の呼び声が高かったパサーだが、リーグカップ戦ではグループステージの6試合中5試合に出場するも、リーグ戦での出場は9試合にとどまりました。

ベルマーレ在籍はこの1年間のみとなりましたが、現在はガイナーレ鳥取のキャプテンを務めています。

宮市剛(2017)

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2017年に26番をつけたのは、高卒4年目の宮市剛。

2015シーズンは水戸ホーリーホックに、2016シーズンはガイナーレ鳥取に期限付き移籍を行っており、3シーズンぶりのベルマーレ復帰を果たした宮市でしたが、激しい定位置争いで置いていかれることとなって試合のメンバー入りにも絡めず、2017年6月にMIOびわこ滋賀へ育成型期限付き移籍。

現在はグルージャ盛岡でプレーしており、サイドバックに挑戦中なのだとか。

山口和樹(2018・2019)

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2018年から2シーズンに渡って26番をつけたのは、国士舘大学から加入した山口和樹。

前年の天皇杯でベルマーレと対戦したのがキッカケの"山根視来パターン"でベルマーレに加入、Jリーグ最小の155センチの小ささと素早さを活かしたプレーは観る者の注目を集めました。

プロ1年目の2018年は公式戦8試合、プロ2年目の2019年は公式戦7試合に出場。

フットサルも嗜んでいたという山口のプレーはチームの潤滑油といった動きの良さを誇っていて、全力で頑張る姿がとても印象的だったのですが、スタンドから送られる声援はなぜか「かわいい〜」でした。笑

シーズン終了後に契約満了を告げられた山口は、今季からはFC琉球でプレーしています。

畑大雅(2020〜)

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今季から背番号26を背負うのは、市立船橋高校出身の畑大雅。

昨年行われたU-17ワールドカップでは、日本代表の右サイドバックとして躍動しており、観る者を惹きつける爆発的なスピードと、八村塁に顔が似ているという特徴的な外見の持ち主。

色黒なのもあるのか、遠くから見えると外人選手にしか見えないこともある。笑

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