湘南ベルマーレ背番号列伝シリーズ(19番編)


雨、燦々と〜♫な1日ですね。

本日はガツガツとした人が多い⁉︎歴代の背番号19を紹介します!

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MF 平塚次郎(00)
FW 西本竜洋(01・02)
FW 石原直樹(03〜06)
FW 外池大亮(07)
DF 山口貴弘(08)
DF 村松大輔(09)
MF 林慧(10)
MF 岩尾憲(11)
FW 大槻周平(12〜16)
FW 表原玄太(17)
FW ステバノヴィッチ(18)
MF 金子大毅(19)
DF 舘幸希(20〜)

平塚次郎(2000)

初代19番は、ベルマーレユース出身の平塚次郎。

名字が平塚、ベルマーレユース出身、ということでベルマーレでサッカーに関わるために生まれてきたような人物とも言えますね。

現在はベルマーレユースの監督を務めています。

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西本竜洋(2001・2002)

2001年から2シーズンに渡って19番をつけたのは、高卒3年目の西本竜洋。

相次ぐ故障の影響で、リーグ戦の出場は2年間で17試合に留まりました。
2002シーズン終了後に現役引退を表明し、引退後は建築家に転身しました。

石原直樹(2003〜2006)

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2003年から4シーズンに渡って19番をつけたのは、群馬県の高崎経済大学附属高校から加入した石原直樹。

プロ入りするまでは無名の存在でしたが、ベルマーレOBの古島清人さんが石原の通ってた高校のサッカー部のコーチだったのが縁で練習参加したのがそもそもの始まりなんだとか。

2003年のリーグ開幕戦に途中出場してJリーグデビューを飾った石原は、ルーキーイヤーは17試合2得点とまずまずの成果を残したものの、度重なる故障や相次ぐ監督交代の影響で、2004年はリーグ戦3試合、2005年は8試合出場に留まりました。

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2005年終盤に負った怪我から復帰した2006シーズン、上田栄治監督最後の指揮となったホームの愛媛戦で途中出場し、その年の今季初ゴールを決めると、菅野将晃監督に変わってからは前線の主軸選手として大きく台頭した石原は、リーグ戦29試合に出場して9得点という記録を残します。

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アジエルという最高のパートナーにも出会った石原は、ここから更に成長を遂げることになりました。

外池大亮(2007)

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2007年に19番をつけたのは、ベルマーレ平塚黄金期、クラブ存続危機の2つの時代を経験している外池大亮。

ベルマーレ復帰を果たした前年は6番をつけていましたが、自ら志願してプロ入り当初の背番号でもある19番をつけた外池は、この年を最後に現役を引退。

現役ラストシーズンとなったこの年は出場機会こそ多くありませんでしたが、2007年4月のホーム東京V戦で途中出場を果たした外池は、ファーストタッチでこの試合のダメ押し点となるヘディングシュートを決め、サポーターを大いに沸かせました。
スタンドが凄く盛り上がってたのは、今でも覚えています。

現役引退後は解説者を務めた時期もありましたが、現在は母校の早稲田大学サッカー部の監督に就任しています。

山口貴弘(2008)

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2008年に19番をつけたのは、早稲田大学から加入して2年目の山口貴弘。

ルーキーイヤーとなった前年のシーズンは27試合に出場し、最終ラインならどこでも出来る守備のユーティリティープレーヤーとして活躍した山口は、この年もリーグ戦29試合に出場。

負傷がちなジャーンが戦列を離れた際には、センターバックの位置でフル稼働したり、シーズン序盤は右サイドバックで出場していたこともありました。

2シーズンに渡る献身的な活躍が光った山口は、翌年に背番号を4に変更します。

村松大輔(2009)


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2009年に19番をつけたのは、JFLのホンダFCから加入した村松大輔。

JFL所属でありながら、現役のU-20日本代表選手でもあった村松は、フィジカルの強さと圧倒的なスピードを駆使した守備を年間を通して披露し、ジャーンとの堅固なセンターバックコンビを形成して、自身の累積警告1試合を除くリーグ戦50試合に出場、クラブの11年ぶりのJ1昇格に大きく貢献しました。

当時のベルマーレ界隈では村松のストイックさも有名で、反町康治監督に「全員が村松くらいやってくれれば」と言わしめたほど。

加入直後のワンダーランドでは、当時大ブレイクしていたはるな愛の"エアあやや"モノマネを披露してステージで躍動。

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近くで見ていた野澤洋輔も思わず吹いてました(笑)

林慧(2010)

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2010年に19番をつけたのは、ベルマーレユース出身4年目の林慧。

前年はガイナーレ鳥取に期限付き移籍を行っており、出場経験を積んでのベルマーレ復帰となりましたが、リーグカップ2試合の出場に留まった林は、シーズン途中にツエーゲン金沢へと期限付き移籍。

ベルマーレ退団後はFC大阪や奈良クラブなど、関西方面のクラブでプレーを続けていました。

岩尾憲(2011)

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2011年に19番をつけたのは日本体育大学から加入した岩尾憲。
武田英二郎(青山学院大)を視察しに行った試合で武田とマッチアップしていたのが岩尾憲で、そこから入団にまで繋がったのだとか。

Jリーグデビューを飾った試合では、その日キャプテンマークを巻いていたアジエルと交代でピッチに入ったのですが、アジエルからキャプテンマークを巻かれてピッチに入るという、ルーキーとしてあまり経験することのないデビュー戦だったのではないでしょうか(笑)

故障の影響もあってリーグ戦の出場は8試合に留まりましたが、素晴らしい人間性と練習に取り組む姿勢が評価された岩尾は、翌年に背番号を13に変更します。

大槻周平(2012〜2016)

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2012年から5シーズンに渡って背番号19をつけたのが、大阪学院大学から加入した大槻周平。

ルーキーイヤーの2012年はワントップやシャドーの位置で所狭しと走り回り、19試合で5得点を記録。

シーズン終盤にはここぞという場面の得点が目立ち、生まれ故郷の京都の試合では決勝ゴールとなるヘディングシュートを決めたり、逆転でJ1昇格を決めた最終節の町田ゼルビア戦ではトドメの3点目を決めるなど、"持ってる"男っぷりを発揮しました。

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2013年はリーグ戦14試合に出場も無得点に終わりましたが、2014年のJ2リーグでは開幕ロケットスタートの立役者として15試合出場4得点を記録しますが、シーズン初黒星を喫した試合で負傷。
全治半年の重傷と診断され、長い戦線離脱を余儀なくされました。


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J1リーグに再び上がった2015年の開幕戦に先発出場してからはコンスタントに出場機会を積み重ねていき、2015年はリーグ戦32試合(4得点)、2016年は27試合(2得点)に出場。

得点数は多くないながら、チームがJ2降格を決めた年のオフにJ1リーグのヴィッセル神戸に引き抜かれたのは、彼の実力が高く評価されていた証でもあります。

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表原玄太(2017)

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2017年に19番をつけたのは、愛媛FCから加入した表原玄太。

当時の監督のチョウさんに見た目が似ていたこと(小(しょう)・キジェなんて呼ばれたり)で意外な?人気っぷりを見せたり、イケイケな雰囲気から醸し出されたグイグイ仕掛けるドリブルとパンチのあるシュートが武器のアタッカーとして試合経験を重ねていきましたが、リーグ戦20試合に出場して得点はゼロでした。

翌年は愛媛FC入団時につけていた背番号24に変更します。

アレン・ステバノヴィッチ(2018)

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2018年に19番をつけたのは、元セルビア代表のアレン・ステバノヴィッチ。

J1リーグ定着を目指すチームの前線の補強選手として加入したアレンでしたが、自身の特徴でもある迫力満点のドリブル突破はJ1の舞台でも大きな武器となったものの、切り替えの速さや体力・運動量の面での問題が足を引っ張り、期待されたほどの活躍が出来ずに8月にチームを退団してしまいた。

リーグ戦のアウェイの横浜F・マリノス戦で挙げたハットトリック未遂(1点目はオウンゴールに訂正)は、鮮烈だったのですが。

金子大毅(2019)

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昨年に背番号19を背負ったのは、前年にシンデレラストーリーの階段を駆け上がった湘南乃宇宙人こと金子大毅。

キャンプ中の負傷で開幕から出遅れることとなりますが、復帰後は齊藤未月との同学年ボランチコンビを形成してリーグ戦19試合に出場。
1年を通して色々な事態に巻き込まれたチームの中心選手として活躍し、チームをJ1残留に導きました。

舘幸希(2020〜)

今季から背番号19を背負うのは、日本大学から加入した舘幸希。

ディフェンスプレーヤーとしては小柄でありながら高い身体能力を持つという点では、三重県の四中工の先輩でもある坂圭祐を彷彿とさせる部分があります。

最終ライン、中盤、色々なところをやらされそうなので忙しくなりそうな予感がしますね。笑

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