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🥎死ぬまでにやっときたい10のこと

宇治山田商業野球部時代に3年間補欠だったソフトボール指導者です。
(あえて自虐で 笑)

ことを成すには相応の分が必要だと若い頃は思ってました。万年補欠だった自分が指導者などとは身の程を弁えてないなと。

手を挙げても、旗を振っても…誰も付いてこなかったらどーしよう?
カッコ悪くね?とか。

失敗することよりも『恥をかく』ことを恐れていました。私の力量を知ってる者に鼻で笑われるんじゃねーかと思うと腰が引けました。ま、若い頃は身体も動いてプレーそのものを楽しんでいたので良かったんですけれども

37歳頃かな?右肩が痛くて投げれなくなりまして…
肩の付け根の辺り、テイクバックで激痛が走って腕が振れんのです。

投げれないことにはアウト取れませんからね。終わったと思いました。
そこからはベンチで賑やかしみたいな日が続き、気が付けば監督になってました…てか、幹事みたいなもんですよ。40半ばまで四年ほどやったけど、この先、ジジイになっても幹事やってんのは夢がないと思いましてね。


ホンマもんの指導者を目指そう!


…て、なりました。
48歳頃かな。

不思議なもんで『恥をかく』ことに抵抗が薄れてました。上手く説明は付きませんが多分、そう思える人生を歩んで来たんだろうねぇ…羞恥心に免疫付くよーなさ 笑

そんな訳で🥎コーチとして死ぬまでにやっておきたい10のこと書きます。その過程で100個くらいの恥をかくんでしょうけど(あえて自虐で 笑)

達成出来たことが2つほど。
①高校生の部活指導が出来た。
②(間接的だけど)中学生も。

子供のいない私にはツテも無いから中高生の指導は無縁だと思っていた。ツテやコネが無くても人脈は作れるもんだなと思った(インスタ様々である)

こっからは未達案件。

③公式記録員3種を取得する。
そんでもって中学生、高校生、一般の人にルールやスコアの付け方を教えて回りたい(勿論、無償で)

④監督になる。
コーチ資格を取る前にやってた監督はカウントしてない。先述したようにあれは幹事だったと思っている。
今年からHIACEというチームで監督の肩書きは持ってるけど、これもちょっと趣きが違う。

生涯部門でも県大会とか全国を目標とするチームで監督やってみたい。
勝てば賞賛、負ければ批判…そんな立場で勝負してみたい。平たく言ってそれが指導者じゃね?
これはね…今の高校の部活指導員ではやれないんだよね。厳密に言うと私はチームに登録されてるコーチではないので試合には関与が出来ない。副顧問先生のご厚意で代わりにベンチ入りさせてもらってる。

最近、身体のあちこちが痛み出してきた。元気なうちにグランドに立ちたい。

⑤中学生のクラブチーム創りたい。
そして地元の高校でソフト続ける子を増やしたい。ここでは監督って立場にこだわりはない。クラブ代表で運営してみたい。監督やってくんねーかな?って人物は私の中には既にいる。やってくれるかどーかは分かんないけど。これは少し先の話かな。

⑥山根佐由里さんのサインが欲しい。Tシャツに直筆でな。
ちょっと一息 笑
脱線したね。

⑦HIACEは長く続いて欲しい。
皆んな楽しそうにソフトやってる。
それが長く続いてくれると嬉しい。
私は名ばかりの監督だが、それでも現在、私のことを『監督』と呼んでくれるのはHIACEの子らだけだ。

⑧豊田市ソフトボール協会に認知される存在になる。協会の中に入ろうとは思ってないけど 笑
味方につけて損することはない。

⑨豊田市にレディースを創る。
元々、コーチ資格を取ろうとしたキッカケはレディース作りたかったから。現在、豊田市の公立校の塁球女子は絶滅危惧種といっても過言じゃない。豊田市にレディース文化が醸成される日が来れば未来は明るい。

⑩世界一のノッカーになりたい。
最後がそれかい!笑

『ノック、お願いします』
お願いされた時は幸せ感じる 笑

以上、死ぬまでやりたい🥎10のこと。それ即ち、指導者として死に場所を与え給えってことである。

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