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【読書録】『ルース・ベイダー・ギンズバーグ アメリカを変えた女性』ルース・ベイダー・ギンズバーグ/アマンダ・L・タイラー

今日ご紹介する本は、『ルース・ベイダー・ギンズバーグ アメリカを変えた女性』(晶文社、2022年)。原著は、"Justice, Justice Thou Shalt Pursue: A Life's Work Figithing For A More Perfect Union"(2021年)。

本書は、2020年に亡くなった米国連邦最高裁判所判事ルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)を紹介する本だ。本書は、故ギンズバーグ判事自身と、彼女と親交のあった大学教授アマンダ・L・タイラーとの共著によるもの。日本語版は、法学者である大林啓吾氏と、複数の法律家が翻訳を担当したものだ。

本書には、故ギンズバーグ判事に対して行われたインタビューや、彼女の講演の記録のほか、彼女が弁護士として行った口頭弁論や、裁判官として執筆した法廷意見や反対意見が収録されている。米国の憲法や法律、判例などのやや難解な内容も含まれるが、彼女が学生たちに向けて易しい言葉で語ったメッセージは誰にとっても参考になるだろう。また、一部、訳者らによる日本語版独自のコンテンツもある。

故ギンズバーグ判事が連邦最高裁判所の判事になるまでの経歴は、とてもドラマチックだ。米国の研究機関の中でも名門中の名門であるハーバード大学とコロンビア大学で法律を学び、極めて優秀な成績を残した。しかも、生まれたばかりの娘の子育てと、癌を発症した夫の看護をしながら法律を学んでいたというから、驚きだ。

大学卒業後は、女性であることを理由にメジャーな就職先である法律事務所などには就職できなかったため、地区裁判所判事のもとでロー・クラークとして働くことになった。その後は大学教員、アメリカ自由人権協会(ACLU)の法律顧問をつとめ、性別を理由とする差別の撤廃を求める事件に携わるようになる。そして多くの画期的な判決を勝ち取り、高い名声を得た。

1980年にはカーター大統領によってコロンビア特別区巡回区連邦控訴裁判所判事に任命された。そして、その後、1993年に、当時の米国大統領ビル・クリントンによって連邦最高裁判所判事に任命され、史上2人目の女性判事となった。2020年に87歳で亡くなるまで27年間、その職務を務めた。

本書を読むと、約50年前の米国では、ひどい男女差別が当たり前のようにまかり通っていたことが分かる。故ギンズバーグ判事が弁護士として勝ち取った判決のうち、フロンティエロ対リチャードソンという事件の画期的な判決が出たのは1973年のことだ。このとき、本書にも収録されている故ギンズバーグ判事の傑出した弁護活動がなければ、性差別に関する社会の関心は、当時、そこまで高まらなかったかもしれない。

また、その後、彼女が判事として、性差別の理不尽を世に知らしめる説得的な意見を書かなかったら、男女平等の概念が、米国内で、いや、世界中で普及するには、まだ何年も余計に時間がかかっていたかもしれない。

本書を読みながら心を打たれたのは、故ギンズバーグ判事が、頭脳明晰であるのみならず、その類まれな法律スキルを用いて、強い信念に基づいて、自由と平等のために闘い続けたことだ。その利他の精神は、なかなか簡単に持てるものではない。そして、その努力も尋常のものではない。

それほど超人的な方なのだが、そのお人柄は、とてもチャーミングだ。優しくて、思いやりがある。性格はおとなしいが、ユーモアもあり、家族や友人、後輩などをとても大切にする。料理は下手で、料理担当は夫。キッチンには入れてもらえなかったらしい。「ノートリアス (※悪名高き)RBG」などと、SNSなどで若い人たちに話題にされても、それを面白がり、笑顔で受け入れたという。なんと素敵な人だったのだろう。

読了後、私の「尊敬する人リスト」に、故ギンズバーグ判事を加えた。能力も人格も遠く及ばないが、これから残りの人生において、彼女の生き方を少しでも見習いたいと思った。

以下、本書から私が特に強い印象を受けたくだりを引用しておく。

(…)義母が「ルース、幸せな結婚の秘訣を教えてあげる」と言いました。(中略)「ときどき、ちょっとだけ聞こえないふりをすることですよ」。だから、不親切な言葉や軽率な言葉が発せられたとき、耳を貸してはいけません。聞かないことです。私は56年間の結婚生活だけではなく、今日までの同僚との人間関係でもこのアドバイスに従っています。

p74

(…)私の生活はバランスが取れていました。朝、授業に行ってから、時間を無駄にはしません。授業の合間にも勉強して、だけど、ベビーシッターが帰る4時からはジェーンとの時間です。公園に行き、たわいもない遊びをします。生活のどの部分も、他の部分からの小休止でした。ロースクールで集中した後に、子供の世話を楽しむ。ジェーンが寝たら、すぐに本を読み始める。人生がロースクールだけではないことをよく知っていたので、上手くやることができました。

p75-76

私自身の経験からも分かることですが、がんから生還すると、それまで持っていなかった生きる気力が湧き、毎日を大切に過ごすことができるでしょう。

p78

一番のアドバイスは、自分の仕事と同じくらい、あなたの仕事を大切に考えてくれるパートナーを選びなさい、ということです。マーティは、常に私の最大の支援者でした。子育てにおいても平等なパートナーであることを望んでいました。
(※学生から寄せられる質問のうち、職業と子育ての両立に関するアドバイスを求められたときの答え)

p87

「自分が大切にしているもののために闘いなさい。でも他の人があなたに賛同するような闘い方をするのです」

p143

「私は自分の性を優遇するよう頼んでいるのではありません。ただ、男性の皆さん、私たちの首を踏みつけている、その足をどけてください」
(※フロンティエロ対リチャードソン事件の口頭弁論において、サラ・グリムケの1837年の発言を引用したもの)

p150

(…)自由の精神とは、あることを正しいと決めつけない精神であり、他者の気持ちを理解しようとする精神であり、偏見を捨て、自らの利益とともに他者の利益を考える精神です。

p406

ところで、本書を読んで、判事についてもっと知りたいと思い、ドキュメンタリー映画『RBG 最強の85歳』を観た。アマゾンプライムに加入していれば、無料で観られる。

2018年の映画で、ご本人がまだご存命の間に発表されたものだった。彼女ご本人の映像のほか、親族や友人、彼女に助けられた裁判の当事者たち、彼女を任命したビル・クリントンなど、彼女に縁のある人たちの語りで、故ギンズバーグ判事の功績やお人柄がとてもよく理解できる番組となっていた。

100分弱の間に、微笑ましいエピソードがたくさん収録されていて、何度も笑顔になった。80歳を超えてパーソナルトレーナーと筋トレをする姿や、彼女の物まねをするコメディアンを見て微笑むシーン。意見が正反対の保守派のスカリア判事とも仲睦まじい様子や、黒い法服につける襟のコレクションなど。どれもユニークで貴重な映像だった。

世界中の至るところで、性差別に限らず、さまざまな差別は根深く存在し、まだまだ、なくならない。しかし、故ギンズバーグ判事らの努力のおかげで、社会はこんなに良くなった。この歩みを止めてはならず、私たち一人ひとりが、差別撤廃のためにできることを続けていかなければならない。老若男女すべての方に、この本と映画をお勧めしたい。

ご参考になれば幸いです!

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