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トマトジュースと父 (東日本大震災の記憶に寄せて)

トマトジュースを飲むと、父を思い出す

私がまだ学生で実家にいた頃
父は毎朝、トマトジュースを飲んでいた。
なぜか湯呑みで

数年経ちわたしが実家を離れ、実家に帰省すると

父はプロテイン用のシェイカーで 
トマトジュース ヨーグルト 青汁をシェイクして飲んでいた

そしてひとこと「まずい!もう一杯!」とこぼす

昔からそんな調子の人だ
父の行動や思考は理解できないが 
認めざるおえないところがたくさんある

怒りっぽいところ、屁理屈なところ、わがままなところ

自分が歳を重ねて、働くようになって

子供の頃に見ていた父と、今思い返して浮かぶ父の像はまた異なる
怒りっぽいところは、冷静に考えれば心休まる余裕がなかったからだろう


元々東京で専門職をしていた父だが
ある時祖父に地元へ呼び戻されて
祖父の興した会社を手伝うことになった


祖父が年老いてからは完全に父が中心となって働いていた

自営業の、社長として指揮をとりながら日々の業務を遂行せねばならない


朝8:30〜夕方17:30まで
月〜土は仕事で、日曜は基本休み
帰ってくる時間はいつもきっかりしていた


だが、帰宅してからも仕事とは完全には離れられない

会社の電話を自宅に転送できるようにしてあり、お客さんから夜でも電話が来るのだ
基本的にはその時間帯に出動したりはしないが、いつでも対応できる体制というのは
どうしても気が休まらないものであっただろう


わたしが18年間実家に暮らしていて、夜に電話が鳴ることはほとんど日常的にあった

しかし、東日本大震災を経てそれが普通ではないことを認識した

わたしの故郷は福島県の中心部(中通り)に位置しており

内陸のため津波の被害はないものの、家屋や道路等に一定の被害を被っていた

市街地では旧いビルの一階部分が丸々潰れていたり、

母校も柱が折れていたりした

わたしの実家は、見かけ上は大きく壊れていないように見えるが

壁紙の中で壁が崩れていたり 屋根瓦が落ちてきていたり

ライフラインには短時間の停止はあったが、すぐに復旧していた

本震の後、頻繁に起きる余震


ライフラインの一端を担うガス事業者である父の元に昼夜問わず電話が来るようになる

余震のたびに安全装置が作動し、自宅のガスを遮断してしまうためだ

各家庭のガスボンベ及びメーターが配置されている箇所に

地震等で止まった際の復旧方法は一応記載されている

しかし、素人判断で行って良いものか迷ったために、業者へ連絡をくれている

下手なことをして二次災害(起こる事はあまりないだろうが)

になるよりかは良いかもしれないが

そのために父は昼夜問わず出動を余儀なくされていた

当時中学校を卒業したばかりの自分は

やっと 父の仕事をとても大変なものと認識した

子供ながらに尊敬の念を抱いたことを覚えている

今まで自宅で自分が見る父の姿は

昼寝をしているか、お酒を飲んでいるか、母と喧嘩をしている姿ばかりであったからだ

それから父に対する考え方、接し方が変化していった


父が今とっている態度には必ず原因があり

それは大抵が仕事による疲労やストレスのためだと

父に理不尽にあたられることがあっても

父は仕事を投げ出しはせず私たち家族のために戦ってくれているのだと

ありのままを受け容れるというよりは

相手の状況を踏まえ 自身の中で相手の行動を合理化していた と思う

その時をきっかけにしてか、父に限らず対人関係においてそう考えることが増えた

(コレに関してはまた別の機会に分析して書き残したい)

わたしが実家を出てからもうすぐ10年になる

あの頃わたしが見ていた父の背中にはまだ届きそうもない

あの頃の父の年齢にわたしがなる頃にはおそらく父はもうこの世にいないであろう

父が自身の人生をどう振り返っているかなど

わたしには推し量ることはできないが

せめてわたしから見て大きく映った背中を
自分の人生に反映できたなら

多少なり報いることはでき
自分の人生に満足して 幕を下ろせるだろう


いつしかわたしも朝にトマトジュースを飲むようになった

父の背中を追うかのように

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