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誰が夕顔を殺したか―源氏物語の「悪役」を解析する面白さ―

Q.夕顔を襲った霊は、誰だと思われますか?
A.六条御息所、廃院の怪

先ごろTwitterに、「夕顔を襲った霊は、誰だと思われますか?」という問いをいただきました。

…いきなり核心!な問いですね。源氏物語全体の解釈にかかわってくる、重要なクエスチョンです。Twitterでは答えきれないので、せっかくならと…note開設してみました。記念すべき初投稿ですね(砂崎名義では)。それでは、始めます!

まずは、夕顔ストーリーのあらすじ

「夕顔を襲った霊」とか言われても、ピンと来ない方もいると思いますので、ざくっと解説。
夕顔とは、源氏物語の第4巻のタイトルです。その巻のヒロインのアダ名でもあります。光源氏の親友・頭中将とかつて恋仲で、二人の間には女児(玉鬘)が誕生しましたが、本妻の脅迫におびえ行方をくらましてしまった…というのが夕顔の過去ですが、これは今回のテーマとは関係ありません。よって脇へチョイと押しやっときます。

さて本筋。夕顔は身分ひくめの女性で、高貴な光源氏とはぐうぜん知り合い恋仲になります。当時光源氏は「六条に住む貴婦人」に通っていて、この人がたいへん気位が高い、くわえて年齢もだいぶ上と、とにかく気疲れするタイプだったのです。そういうとき、めっちゃピュアな夕顔と出会った光源氏は、反動のように彼女に溺れてしまいます。「六条の人」に悪いなぁと思いつつ、とある廃院(荒れ果てたお屋敷)で夕顔とシッポリ過ごしてたところ、とつぜんモノノケが現れて、夕顔をトリ殺してしまいました…。これが「夕顔」巻の内容です。
で、このモノノケとは何者か。これが源氏読みの大命題です。いや、重要な話なんですよコレ。

モノノケの正体が、なぜ重要?

たぶん、実にたわいない問いに見えると思います。すんごく長い、キャラも500人いる物語で、ただ1話にゲストしたヒロインが死んだ。あ~ひと夏の思い出、青春のひとコマね。そういう印象ではないでしょうか。番外編にありがちなエピですよね、それだけです。(実際は「ひと秋の恋」なんですが←どーでもいいトリビア)

しかし!源氏読みにはチョー重要な問いなのです!なぜなら!
【夕顔には、ファンが多いから】
…笑わないでください、本気なんです…推しの死の真相、知らでいらりょうか! という冗談は置いといて。(いや、半ば本気なんですが、うーん…)

この犯人が誰かによって、物語全体の印象がガラッと変わるんです。
あと、「ん? 作者、この時点では、短編を楽しくつづっていたのでは?」的な、【物語の仕上がっていく過程】が見えてきたりもする。ちょっとこの謎、意外とビッグな手掛かりかもしれないよね的な、妙な引っかかり感じられる問題なんですよコレ。

という訳で。夕顔殺しの謎、解いてみましょう。

犯人は誰?!現代の推理小説はこう読み解く

まずは、現代のミステリー的な視点から、3説挙げます。

1.光源氏の従者・惟光が夕顔の侍女・右近と共謀して殺害した
これ、Twitterでフォロワーさんからお寄せいただいた説です。そのように書かれた本を以前読んだ、と情報提供してくださいました。ありがとうございます。

で、検討してみますと、「平安ライフスタイルから見ると、あり得ない」が結論です。

具体的に申しましょう。まず当時、死のけがれは「伝染するもの」と考えられ恐れられていました。なので夕顔を、光源氏と同衾している場で殺すということは、例えれば毒ガスを投げ込むようなものなんです。光源氏まで死なせてしまいかねないんですね。なので、惟光の動機が(そのフォロワーさんソースの情報では)「身分低い夕顔に溺れている主君を案じたため」なのだとしたら、やり方が非合理的です。

あと平安の生活様式では、現代ミステリーのような犯罪は限りなく困難で…。当時の生活、最高貴族のお宅であっても、現代のわれら視点ではトンでもなくプリミティブなんです。床板はギシギシ鳴るし穴はあいてるし、明かりは火種のあるところから持ってこなきゃだし、という具合です。そんな環境で、光源氏の隣に眠る夕顔を、光源氏に気づかれずに殺すって…闇の中、手探りで近づき、(床板も鳴らさず衣ずれも立てず)、共寝している二人のどちらが女かを、何らかの方法で判別し、その首に手か紐をかけ絞め殺して(とうぜん暴れられますけど、それはどうする?)、で光源氏にはバレずに去りました、というのは、…ちょっと(ちょっと?!)ムリかと思われます。

また、絞殺ではなく毒殺ならあり得るのではないか、と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、古典作品に説得力ある毒殺は、あまり出てきません。コレ理由は非常に単純で、要するに薬学の知識・技術が未熟すぎ、実行がおぼつかなかったからですね。毒物の駆使って意外と高難度で、科学が割に発達してからの殺害手段なのです。まず、どの薬をどの量摂らせれば人は死ぬのか、という知識を得る必要がありますし(紙・文字が貴重で口伝のウェイトが大きかった古代には、この時点でハードルがかなり上がります)、その薬物を植物なり鉱物なりから抽出するのにも知識・技術・道具が要ります。ヘタに行えば、犯人自身が(実行前に)倒れるか死ぬかします。いやそれ以前に、致死レベルまで毒物を濃縮し、それを(わが身は安全に)保持する自体が実は大変です。密閉できるビン・缶なんて近代の発明品ですし、肌から吸収される毒だと手で触れただけで危険ですし、保存状態が不適切な薬品は容赦なく劣化していきますしね。という訳で古典作品には毒殺じたいが、あまり出てきません。出てきたとしたら噂話か(衝撃的な見た目の死であったために尾ヒレ付き物語が伝承されるなど)、名医の誇張された手柄話など伝説風味の逸話ですね。呪殺の方がむしろ恐れられる、それが古代人にとっての現実です(笑)。では次。


2.光源氏がいきなり飛び起き太刀を引き抜いたので、驚きのあまりショック死した


これ、昔何かの本で見かけた説なんですが。夕顔はもともと気が弱い女性、深夜に光源氏が悪夢(モノノケ)を見て跳ね起き太刀を引き抜いたので、乱心したのかとおびえて心臓麻痺を起こした、って説です。これは、この太刀引き抜きシーンのあとにも「女ぎみ、いみじくわななき惑ひて」と生存している。よって間違いです。

3.モノノケとは、良心の咎めから来る思い込み。


これは、むしろ第9巻「葵」について語られる説です。

「葵」巻には、光源氏の正妻・葵上が愛人・六条御息所の生霊にとりつかれ、その後死んでしまうという場面があります。このシーンにつき流布しているのが「六条の霊=光源氏の錯覚」説です。いわく、「六条に乗っとられた葵を見たのは、光源氏だけ」「光源氏は浮気にヤマシサを感じていたので、葵の死を六条のせいと責任転嫁したのだ」説ですね。この説を夕顔にも適用すると、「何らかの原因による夕顔の急死を、引け目のある光源氏はモノノケによるものと考えた」ってことになります。

この「モノノケ=内心のやましさ」って発想、現代人には分かりやすいですよね。科学いきづく現代の我々は、「病気の原因=モノノケ」なんて迷信だと思っていますから。加えて作者の紫式部自身が、紛らわしい和歌を残しているのです。

亡き人に かごとはかけて わづらふも をのが心の 鬼にやはあらぬ

これは紫式部がある絵を見て詠んだ歌です。その絵とは、「亡き元妻がモノノケとなって今妻を病ませている、その前で夫は経を読んで、モノノケ=元妻を責め立てている」って場面だったとのこと。つまり式部センセの歌の意味は、「亡き妻に言いがかりつけて苦しんでるけど、ソレ夫の良心の咎めではないですか?」です。

いや~、まるで現代の精神分析ですね!さすがは紫式部、迷信にとらわれない科学的な思考法を、時代に先駆けて身につけていた!と仰る方もいます。いますが、…ちょっと待って。

古典を読むときの注意点は、「現代の常識を無意識に当て込んでしまうこと」です。モノノケなんてホントは存在しない、それが科学だ真実だという認識を、現代人は多かれ少なかれ抱いています。でそれに合うような古代モノに会うと、「おお、真理に気づいてる人がすでにいた!」と飛びついてしまう。…オーパーツのようなものですね。「遺跡の壁に飛行機の絵が!古代にも飛行機があったのだ!」という勘違いです。実際は古代の文字が、飛行機にたまたま似てただけ、とかですよ真相は。

「紫式部女史は、科学的な偉人であったはずだ(そうあってほしい♪)」みたいな、読み手の「願望」フィルターがかかると、こういう読みをしてしまいがちです。ただしコノ手の「願望読み」は、原典を読んでいくとどこかでつまづく。モノノケ=内心のヤマシサ説の場合、少なくとも2か所、適合しない本文があります。

① モノノケに乗っ取られた葵が「かく参り来む」と発話する(葵巻)。これは、葵本人なら言わないセリフです。ずっと自邸にいましたからね。つまりモノノケは錯覚ではなく、「どこかからやって来たモノ」として記述されている。
② 夕顔の乳母の夢にも、モノノケが出現する(玉鬘巻)。夕顔の乳母は、光源氏と接点のない人です。そういう「他人」までモノノケを見ているので、光源氏の錯覚だけとは解釈できない。

このように「モノノケ=思い込み説に立って読んでいったら、不合理な本文にぶっつかった」場合、仮説の方を見直すべきです。自説に合う本文だけ拾いあげ、合わない本文は無視…という読み方は、源氏物語が見せてくれる本当の壮大さに、結局はたどり着けないと思うんですよね。

本件の場合は、「紫式部もやはり、モノノケの存在を信じていた」と、新たな説を立ててみましょう。それで第1巻~54巻まで読み通してみて、明らかに矛盾する本文がなければ、この仮説は「いちおう信を置ける」説に昇格です。少なくとも砂崎は、この「紫式部もモノノケ信者」仮説にぶっつかる本文を、源氏物語中に(今の時点では)見つけておりません。

長くなってしまいました。結論としては、「夕顔を殺したのがモノノケだというのは光源氏の思い込み」説も、砂崎は否定します。つまり源氏物語の本文は端的に、「夕顔殺害犯はモノノケ」と書いている、ってことです。ではこのモノノケ、正体は何者なのでしょう?

犯人は廃院の怪か、六条御息所か

源氏物語は、1000年にわたりファンがつつき回してきた本でして、主要な疑問点とそれへの答え(学説)は、すでにだいたい出そろっています。夕顔殺害犯に関しては、荒れた館に棲みついていたモノノケ、つまり「廃院の怪」説と、「六条御息所の生霊」説、この2説が古来有力です。それぞれを検証してみましょう。

モノノケの正体は、廃墟に棲みついてた魔物でしょ説

この説の根拠は、光源氏自身が「荒れたりし所に住みけん物」(夕顔巻)のしわざだろう、と思い返している本文です。直前に「添ひたりし女の、さまも同じようにて見えければ」という文があるのがポイントです。「見えければ(見えたので)」という表現、これシンプルに【根拠】を示す言い方なんですね。なので本文をすなおに読めば、「犯人は廃院の怪と明記されてる」です。Q.E.D.(以上、証明終了)

ところが。紫式部センセってクセ者でして。けっしてすなおには書かないのです。例えばですね、モノノケがヘンなセリフをしゃべるんですよ。

「おのが、いとめでたしと見奉るをば、たづね思ほさで、かくことなる事なき人を率ておはして時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」

「をかしげなる女」の姿をしたモノノケが、こんなこと言った上で夕顔を襲うのです。このセリフ、訳すと「私が貴方をたいそう素晴らしいと拝見しているのに、たずねて愛してくださらないで、こんなつまらぬ女を連れておいでになってお可愛がりになる、それがとても目障りで辛い」となります。…コレ、変なセリフじゃないですか?「たづね思ほさで」って箇所が妙ですよね? 光源氏が(というより、生きた人間が)、廃墟にイソウロウしている妖物を、求め愛さないのなんて、当たり前じゃないですか。

つまり。この濃ゆいセリフ、いかにもな恨み言なんですよ。こんなこと言うの、【現在進行形の女】ですよね?! そう考えると光源氏が今しばしば通っている、しかも仲がこじれかけている、「六条の貴婦人」がいちばんアヤシイ訳です。この疑いを裏づけるかのように、夕顔巻では彼女の存在が、「六条わたり」と何度も言及されてますからね。その仄めかしかた、チョットくどすぎるくらいなんです。…では、犯人、六条なのか⁈

いやいや嫉妬に狂う六条御息所(の生霊)でしょ説

イヤ、ただの魔物じゃないでしょう。夕顔を殺した「をかしげなる女」、その正体は六条でしょう…。読者にそう感じさせる点、多々あります。一つは前述の「おのが、いとめでたしと…」というセリフ。あと、この夕顔巻のあちこちに、「六条わたり」のことがすごくネチッこく書かれていること(いやぁ、ものすごく思わせぶりなんですよ!)。さらに決め手が、モノノケ出現の直前です。光源氏、夕顔をウットリと眺めながら(あの六条わたりの方も、こんなふうに、もちょっと気安ければなぁ)と思い比べてしまうのです!

今も昔も自分のステディに、同性ライバルと比較されるほど頭に来ることはない(笑)。加えて夕顔は容姿も身分もイマひとつ、優しさやおっとりが取り柄の女です。地位も顔も教養もピカ1な六条には、「こんなのと比べられるとは!(しかも負けるとは)」と、人生観やら誇りやらがガラガラ崩れるショックだったに違いない。…もちろん六条さん、光源氏たちのランデブー見てる訳じゃないですよ。それに光が内心で思った「だけ」の、思い比べが聞こえたハズもありません。ですが! 光源氏が(あの六条わたりも)と思った直後なんですよね、モノノケが現れるの。そのタイミングがあまりに良すぎるので、(…まるで六条がこの場をのぞいていて、光の心を透き見したかのよう)って、不気味な感じがブワッとあふれるのです。

ほらやっぱり、犯人は六条よね。と言いたくなりますが。

しかし! この説には弱点がある! モノノケを3回も見た光源氏が、その後も六条と関係を続けてることです。もし夕顔を殺したのが六条(の生霊)だったとすれば、その姿を見た光源氏が、関係継続するはずありませんよね。実際、正妻・葵が六条さんのせいで死んだあと、光は関係を絶っています。この点が犯人=六条説の、不利な点です。

さらにさらに。モノノケ=六条説に矛盾する本文もあります。「葵」巻で、葵にとりつく霊を自分だと自覚した六条さんが、「人をあしかれなど思ふ心もなけれど(人に悪くあってほしいなどと思う心もないけれど)」、葵に車争いで侮辱されてから、心が暴れ出してしまって…と悔いる場面です。これまで人に悪意なぞ持ったことがなかった…というこの心内文、「前科」持ちの女性にはありえないのです。

また源氏物語のヒロインたちは、「いかにも姫君!」という、性格の直ぐな(スレてない)人がほとんどです。自分から嫌がらせに打って出るのは、悪役ポジションのキャラだけです(右大臣家の女たち、紫上の継母など)。六条さんというヒロインは、二次創作で1000年にわたり怨霊ふうに描かれてきてまして(笑)、ヒス女イメージが定着してしまってますが、原典では「極上の貴婦人」です。光源氏が選りに選って見初めた人、最もゴージャスな女性という位置づけです。「人に悪意など持ったことがない」という善良さが彼女の本性と見てよいでしょう。だとすると、…夕顔を殺しに行くというのは、「ガラじゃない」ですね。

まさかの「第三の女」説

誰が夕顔を殺したか。廃院の怪か六条御息所か。この二人、どちらが犯人なのか。
…そう畳みかけたくなりますが、これまた待った! 別に、この二人でなくてもイイんですよ。という訳で「第三の女」説をぶちあげます。まさかの【真犯人は別にいた!】です(笑)。

モノノケさんのセリフが、引っかかるんですよねぇ。

「おのが、いとめでたしと見奉るをば、たづね思ほさで、かくことなる事なき人を率ておはして時めかし給ふこそ、いとめざましくつらけれ」

これ、前項では以下のように訳しました。「私が貴方をたいそう素晴らしいと拝見しているのに、たずねて愛してくださらないで、こんなつまらぬ女を連れておいでになってお可愛がりになる、それがとても目障りで辛い」。

…でも、別の意味にも取れるのです。ポイントは、
「おのが、いとめでたしと見奉るをば」。

古文の重要ポイントですよねコレ。「見奉る」という連体形のあとには、「人」とか「もの」が省略されてるケースが多いのです。ココ、試験に出ますよ~(笑)。

こちらの意味で解釈すると、モノノケさんの本意は、
「私がたいそう素晴らしいと拝見しているお方を、たずねてお愛しになることはなくて、こんなつまらぬ女を…(以下略)」
ですよね。

いやぁワクワクしますね! 源氏物語はこうやって1文1文を、ああかこうかと調べているうちに、別の解釈が見えてくるからコワいのです。読めば読むほど発見がある。

こちらの意味で読み解くとモノノケさん、「ちょっと光る君、アタシの推しを愛さないで、夕顔ふぜいにホレるって何よ!」と、しゃしゃり出てアタックに来たってことになります。…ずいぶんお節介なファン、いやモノノケですよね。そんな人いるわけないじゃん、と現代のわれわれは思ってしまいますが。

【コトは、平安時代に起きた】

現代基準で解釈すると、理解できないコトがゴロゴロしてる。それが古典を読む困難(醍醐味)です。この場合、…いたんですよ。平安時代には、【姫君づきの女房(侍女)】ってものが存在したんですよ!

平安時代の女房については、語りだすと終わらないのでチョチョッとだけ述べますが、彼女らは、姫君と自分を同一視している所があるんですよねえ。多くは血縁か乳縁があり(あ、チチ縁て乳母により生じる縁ですね乳きょうだい等)、姫君とは幼少期から共に育つため、ものすご~く濃い絆で結ばれています。で、姫の夫のお手付きであることも珍しくない

…これ、現代の読者さんはビックリする点だと思うんですが。平安の姫と侍女は運命共同体。夫の地方赴任とかが決まった場合、夫を捨て姫に仕え続ける、それがマトモな侍女って空気があったようです。で、姫君のご夫君とも「親密」であったと。(ええと、まァ、むろんイロイロあったようで、「姫さまのご機嫌を損ねない程度にしなきゃ」と気を使ったり、自身の想いに苦しんだりもしてたようです。イヤすごい世界です)

という訳で。六条御息所の腹心で、光源氏と寝たこともある侍女だったら、忠誠心と恋心をドロドロないまぜして夕顔アタックしてもおかしくはないなと思うんですよね。そういう目で読むと「夕顔」巻には、六条の侍女が意味深に出てきてます。「中将の君」というイケてる女房で、抜かりない光源氏にさっそく言い寄られて、サラッと流してみせるクールな女性です。姫君づき侍女と通ってくるご夫君て、コ~ユ~仲だったのね(成り行きしだいでは、もっと深いトコまで行ったんだろうな~)と、平安ラブ事情がしのばれるワンシーンです。

とはいえ前項「いやいや嫉妬に狂う六条御息所(の生霊)でしょ説」同様に、腹心の侍女なら光源氏がカオ覚えていますよね。(この点は、重大問題なので、また後ほど…)

そもそも犯人が、なぜ重要なの?

以上えんえんと、「誰が夕顔を殺したか」を追ってきた訳ですが。そろそろ飽きてきましたよね皆さん(笑)。なので、結論に参りましょう。犯人が「六条御息所」だったとしたら? それは、何が重要なのでしょうか?


六条が夕顔を殺したのなら

これはですね、源氏物語のアチコチにある「番外編」が、一気に本編へ一体化してきます。何というかな、チョイと描かれていた出来事が「実は伏線だったのかー!」っていう感じで、壮大な構想がいきなり見えてくる雰囲気といいますかね、源氏物語全体に対する見かたが変わります。つか、実際変わった読者さん、多かったと思います当時から。

具体的にいうとですね。第4巻の「夕顔」では、六条さんの身分とかって明かされていないんですよ。ブランド地名の六条にお住まいで、すごい豪邸の主で、年上美女らしい、くらいしか開示されてないんです情報。それがずうっとあとの第9巻「葵」でですね、いきなり「亡き皇太子の妻」「子持ち(姫宮さまの母上!)」「帝をフッたこともあるスゴイ貴婦人」と、ド重い情報がドカドカ公開されるのです。これ、初めて読んだ人はけっこう衝撃だったハズ。

えらい女に手を出したな光源氏、しかも口説き落とせちゃってるし(さすがというべきか、うーん)。とまぁ、なかなかに重いストーリーが、とつぜん展開され始めた感じですね。例えて言うと、

けっこう楽しい読み切り作品を、連載に昇格したっぽいゾとワクワク読んでたら、イヤどうも最初から大長編予定だったらしい?!

と、急に盛り上がってきた感じでしょうか。そしてこの六条さんというキャラ、生前は生霊、死後は死霊として、光源氏にひつこく付きまといます。あ、「夕顔」巻にチラチラ登場してた美女キャラ、サービスカットなのかと思ってたら、実はモブじゃなくてメインだったんじゃん、それも飛びきり魅力的な悪女キャラ♪って雰囲気。光源氏の生涯のストーリーが、彼女を軸にするとすごく分かりやすくなる。そのうえスリリングにもなる訳です。

ではでは、犯人が「六条さんの侍女」だったら?

犯人が六条さんの「使い魔」だった場合は、…これ、保留にさせてください。平安時代の女房について、砂崎まだ納得できていないのです。何せ、当時の人には当然すぎて、書かれてない事情がいろいろありげなんです。

ただ、…「犯人=六条さん」のケースと、あまり変わらない気もするんですよね。平安時代の姫と侍女は、ホントに関係濃ゆいですから。「侍女がやらかした?女主人の性格に染まったんでしょ」と見られて、どちらも同罪。源氏物語全体への見かたについても、同上!じゃないかなぁ…。

閑話休題:光源氏が見て、気づかなかった訳

では最後に、「モノノケ=廃院の怪」説なら、源氏物語全体へはどう波及する…、と解く前に、チョイと脱線させてください。つか、コレ解説しないと次が分かりにくくなるので。

前述の「六条御息所(の生霊)説」と「第三の女説」でも触れましたが、六条or侍女が犯人だとした場合、大きな疑問がひとつある訳です。モノノケを3度も見た光源氏が、気がつかないハズないでしょ、って問題です。

だから、六条説と六条の侍女説は両方とも却下。消去法で犯人は「廃院の怪」ですよね、そう結論したくなるのですが、ちょっと待って。

【光源氏はモノノケを3回も見た。でも、六条orその侍女とは気づかなかった】
ってことは、平安ならあり得るんじゃないかと思うんですよ。

なぜなら。平安時代の室内は、めっちゃ暗かった。だから「姿を見た」と本文が明記してるのに、「服装は・・・らしい」とあいまいだったりとか、【見えてなさげ】なケース、よくあるんですよ。つまり、平安人が言う「誰それを見た」って、「ぼんやりしか見えなかった/細部は不明」と両立可能なのです。

しかも夕顔の殺害現場は。太陰暦16夜の宵を過ぎた頃なので、おそらく月はまだ出ていない、出てたとしても低い位置。光源氏たちは夕映えを眺めてそのまま寝入ったので、建物の西の妻戸近くにおりまして、角度的にも月明かりさえない暗闇です。そういう中、小さな火ひとつで「ふと見えた」モノノケ、「ろくに見えなかった」可能性は高いはずです。のこり2回の目撃は、光源氏の悪夢の中。…つまり。本文には「見えて」と明記されているけれども、現代人が想定するほど「見えてた」とは限らないのです。

さらにさらに。光源氏の性格も考慮しなきゃなりません。第9巻「葵」の本文が参考になります。正妻・葵が病に伏したとき、周囲が「誰それの生霊/死霊のせいでは?!」とアレコレ言う。それに対し光源氏は「人のとかく言ふを『よからぬ者どもの言ひ出づる事』と聞きにくく思して、のたまひ消」しています。つまり、人についての悪い噂は、眉ひそめて打ち消す人なのです光源氏は。となれば、夕顔を死なせたモノノケ、ボンヤリ見えた「をかしげなる女」を、(六条やその侍女の生霊かも)とは、考えまいとするだろう、ということです。

こう想定して読んでみると、第9巻「葵」の本文が、実に意味深に見えてきます。六条が葵を死に至らしめたあとの場面です。光源氏は、

「何に、さることを、さださだとけざやかに見聞きけむ(どうして生霊化した六条の姿・発言を、ハッキリクッキリ明瞭に見聞きしてしまったのだろう)」

と「くやし」く思うんですね。要するに、

【ハッキリ見聞きしなかったなら(六条はそんな人ではない)と信じ通したのに】

ってことです。そういう人なんです光源氏は。
(…ココ、「見た」ではなく「見聞きした」と書かれているのが、いかにも平安です。「見た」だけでは相手をアイデンティファイできないんですね。だから声も手掛かりなのです)。

いかがでしょう。つまり光源氏は、夕顔殺害犯のモノノケを、「けざやかには見聞きしなかった」のではないでしょうか。そして確たる証拠がない以上、六条やその周囲を疑ったりはしない、それが彼のスタンスだったのではないでしょうか。

もし犯人が「化け物」なら

さて、ラストの要点をついに述べるときが来ました。(長かったー!)
いえ、私も疲弊しきってますよ。(だからですね、源氏についてはあまり書かないのですワタクシは。結句長くなって、…アレコレとついつい加えてしまうし、ドンドンドンドン長くなっていくし、いやはや困憊^^;)

Q.夕顔を襲った霊は、誰だと思われますか?

これに対して「A.六条御息所、または廃院の怪」と答えるには、これだけの解説が要るんです。文字数、必要にして十分がコレなんですよー!(フォロワーさん中の、源氏好きな方々はきっと分かってくださる、…)

犯人が六条やその周囲の生霊ではなく、「廃院に棲んでた魔物」だった場合。それが源氏物語という作品にもたらす効果は何か。

コレ、端的に言って、ストーリーがぼやけます。前述の「犯人=六条」説と比べれば、一目瞭然ですよね。「すべての呪いは六条のせい」という屋台骨が消えて、ある意味、明快じゃない物語になります。

一方で。六条さんが「いい人」になるんですよ。そうでしょ? 夕顔殺しに六条さんは関係ない。その上、「人をあしかれなど思ふ心もな(人に悪くあってほしいなどと思う心もな)」かった女性です。光源氏も、証拠をつきつけられない限り、愛した人を疑ったりしない男性です。…そういう、善なる人どうしのペアがスレ違い、最悪な結果となっていく物語。源氏物語をそんな話、怪談よりもある種ホラーなストーリーに、変えてしまうのが「モノノケ=廃院の怪」説です。六条さん=「悪役」というシンプルさが抜けるため、よりあいまいで、いろんな事がごちゃごちゃと起きて、把握しにくい、割り切れない物語になります。人生って、そんなものじゃないでしょうか。文学としてのクオリティは、こちらの解釈の方が上がると思います。

どちらが「真」の源氏物語か?!

さてさてどちらが、紫式部センセの意図した源氏物語なのでしょうね?! 六条さんという魅力的な悪女と生涯バトルする光源氏ストーリーか、いろんなモノノケ類に襲われながら善男善女がモガキ生きる物語か。…コレ、両方だと思います。

源氏物語は、多様に解釈できるように書いてあるのです。シンプルに読めば、廃院の怪が犯人です。ただ、六条またはその侍女ではと疑りだすと、それを裏付ける「思わせぶり」箇所がいくらも見つかります。なので解釈が謎解きのようになってきて、何度読んでも新たな見かたが拓かれます。

とかいうことを、えんえんと書きつづってきましたけど。そんな解釈論とか、成立過程の推測とかを吹っ飛ばす勢いで、夕顔ちゃんのピュアでむじゃきな魅力がすさまじいので、ぜひぜひ皆さま、第4巻「夕顔」、読んでみてください! 短くて怪談テイストでミステリーっぽさもあって、何より夕顔ちゃんの可愛さ、必見ですよ♪(←語彙力^^;)

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