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「おとうさん」の話


昨年12月に、義父が急逝した。

義父の様子に違和感を覚えた義母の勧めというか、懇願と説得の結果病院で受診。
最初は回復する診断だったのでご本人も家族も、知らせを聞いた私も
皆で安堵していた。

けれどその安堵とは真逆に、坂道を転がるようにどんどん具合が悪くなり、
再診察の結果、急性で別の症状が見つかり、
上記の受診から1ヶ月もたたないうちに亡くなってしまった。

本当に、あっという間だった。


私は初めてお会いしてからまだ2年も経ってないけれど、
初めての時も、いつお会いしても、
やわらかい笑顔で迎えてくれて、
口数は多くはないけど、優しく、時々冗談や厳しいアドバイスも交えて話してくれる、私の中では陽だまりのような空気をいつも纏っている、温かい人という印象だった。

実父が自由人かつ厳しく堅めな性格なので、
初めて会った日から「こんなやさしいお父さんほんとにいるんだ?!」と驚いた。

義実家にいくと晩御飯はほぼ毎回義父作で、
私は毎回お手伝いをと声かけする
でも義母は笑いながら
「お父さんはこういう時は鍋奉行やから、私らはほんまに待ってたらええのよ」
というので、そのうち準備のお手伝いだけして
出来上がるまでおとなしく待ってご馳走になるのが通例になっていた。

私はその御礼も兼ねて、義実家に行く際は
夫とでかけた先で買ったお土産や
デパ地下の珍しいお菓子とか
お二人に食べてみてほしいなと思うものを
毎回手土産に持参していたのだけど、
「あの子が持ってくるものは毎回美味しい、
センスがいいから毎回たのしみやわ」
と言ってくださっていたらしい。

義父が亡くなってすぐ手を合わせに行った時に
それを義母から聞き、
そう思ってくれていたうれしさと、
目の前にいるのに、
もう二度と言ってもらえないんだなという寂しさを実感して、涙が止まらなくなった。

義父は息子のお嫁さんと出かけるのが夢だったと聞いていたので、
こんな私でいいのかなあと思いながら、義両親とは2度ほど日帰り旅行もご一緒した。
人見知りの私は緊張したけど、嬉しそうなお二人の姿がキラキラして見えた。

お酒を呑むと普段より沢山話してくださるのがかわいらしい義父さんだった。
お酒を吞んで義父さんが眠たくなってきたら、
そろそろお開きにしよか〜となるのが毎回の流れだった。
そのお決まりの流れも私は大好きで。


最後に会った時も、これからの話を沢山して、
まだまだ、まだ、会えるとおもっていたのにな

葬儀では夫が喪主で、義母や夫を支えたくて私も出来る限り動いた。
親戚やお友達が時間を問わず来られて、皆さんが辛そうにしてらっしゃる姿をみて、本当に慕われていた方だったんだなと改めて実感した。

通夜の日も葬儀の日も、12月なのに上着もいらないような異例の暖かさで。
TVでは異常気象だと報道もされていたくらいぽかぽかした気温だった。
火葬場に行く道中には、暖かな日差しと紅葉が相まった
ものすごく綺麗な景色が広がっていた。

キラキラして、眩しくて、暖かくて、
お葬式の日にこういう表現をするのは間違っているのかもしれないけれど、
こんな綺麗な日にお葬式だなんて、とても義父っぽいなと思った。
隣で同じ景色を見た夫もそう思ったらしい。

その景色を私は一生忘れないな、と今でも思っている。

(写真は初めて義父とおでかけした日のもの
この日もすごく紅葉がすごく綺麗だったなあ)

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