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3月5日(2005年) ある名優が誕生した日&清尾の副業が頓挫した日

 2005年3月5日(土)。
 浦和レッズは埼玉スタジアムで鹿島アントラーズとのJリーグ開幕戦を行った。

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 前年、レッズは2ndステージで優勝。これがクラブ2つめのタイトルで、2004年は2ステージ制最後のシーズンだったから(実は、後に亡霊がよみがえるのだが)、レッズは「最後のステージ優勝クラブ」だったことになる。残念ながらチャンピオンシップをPK戦の末に落とし年間王座には就けなかったので、この2005シーズンは通年制になった最初の優勝を狙っていた。

 ホームでのJ1開幕戦は6年ぶり。埼スタをホームスタジアムにして以降シーズンチケットホルダーが増えたレッズは、チケットの送付が間に合わないおそれがあるとして、ホーム初戦を第2節にするようJリーグに要望していたが、さすがに前年の準優勝クラブとなるとそうはいかないらしい。
 この日は初めて埼スタでシーズンの開幕を迎えた日でもあったのだ。

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 開幕間際になって山瀬功治が横浜F・マリノスに移籍した以外は大きな顔ぶれの変化はなく、前年の後半好調だった勢いをそのまま持ち越した形で、試合はレッズが優勢に進めた。しかし先制は鹿島。29分、鈴木隆行にヘディングシュートを決められた。そして、この試合で鈴木が果たしたのは、先制ゴール以上に決定的な役割だった。序盤から両チームの激しいプレーが続き、6分、7分に鹿島、33分にレッズに警告が出ていたという背景があり、前半44分、レッズのDFアルパイが一発退場になったのだ。
 この日何回目の揉めごとの際、何事かをアピールする鹿島の鈴木に対して、アルパイが「黙れ」とばかり左手で両頬をつかみ口を押さえたところ、鈴木が思いきり後ろへ倒れ、痛がった。そのタイミングは絶妙で、相撲の突っ張りのように見えたのだろう。吉田寿光主審はアルパイにレッドカードを提示した。

 鈴木は自分の口をふさいだアルパイの手首をつかんでいたから、あれほど思いきり倒れる必然性はなかったように思えた。さらに、フリッツ・フォン・エリックのアイアンクローじゃあるまいし、のたうち回るほど痛さを感じるようなつかみ方にも見えなかった。あとでビデオを見返しても、そう思えた。 
 しかし何を言おうと、相手に手を掛けるという、まったく必要のない行為をした時点で負けだ。そもそも、たしかアルパイは揉めごとの当事者ではなかったはず。まあ、あの試合はチーム同士が当事者みたいなものだったが。
 レッズは後半、ギアを上げて反撃に出た。シュート数は10人のレッズが6本、鹿島が1本だった。だが双方のネットは揺れず、代わりに主審のポケットから忙しく黄色いカードがさらに5回、出入りした。

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 レッズが開幕戦を0-1で落としたこの試合。実は個人的にも思い入れが強かった。
 それまで埼玉新聞社の仕事としてやっていたMDPの編集を、この年から個人で請け負うようになった最初の試合なのだ。
 クラブからの勧めで会社を2月20日付けで退職。フリーになり24時間365日浦和レッズのことだけを考える生活になった。それまでできなかった副業も可能になったので、当時あったJリーグ系オフィシャルサイトの仕事もやろうとしたのだが、この試合のレビューで「鈴木隆行という名優」みたいな表現をしたところ、「うちのサイトでは…」と直された。

 そりゃそうだよな、と自分にはレッズ寄りの記事しか書けないことを自覚し、その仕事は1回でやめた。こんな内容の試合でなければ、今でもその副業は続けていた…?
 まあ無理だな。

 さて、みなさんは2005年3月5日、何をして何を感じていましたか?

※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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