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3月7日(2007年) アジアがちょろい?と勘違いしたかもしれないACL初戦


 2007年3月7日。浦和レッズはホーム、埼玉スタジアムにインドネシアのペルシク・ケディリを迎えてAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の初戦を行った。レッズのACL出場はこのシーズンが初。つまり、大げさに言えばアジアへの扉を初めて開いた日だった。

 この3年前「海外の有名チームとやる親善試合より、アジアでの真剣勝負をしたい。そうなったらどれほど多くのサポーターがアウェイにも応援に行くか楽しみだ」てなことを書いたことがある。 

 レッズは世界のトップチームと、ひととおり対戦してきた。もちろん良い試合もあったし、素晴らしいプレーを見ることができて眼福だった。立派なエンターテインメントだったと思う。
 ただ自分にとって、そしておそらく多くのサポーターにとって、レッズの試合はただのエンターテインメントではなくなっていた。その試合に勝つことで、タイトルが獲れるのか、タイトルに近付くのか、次のステージに進めるのか、どこにつながるのか。そういう気持ちが常にある。
 ACLに出場するのは、アジアナンバーワンのタイトルへの道を進むことだし、さらに優勝すればクラブ世界一を決める大会に出場できる。これこそサッカーの醍醐味だ。

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 クラブもサポーターも切望していたACLの初戦。組み合わせが決まるまでペルシク・ケディリの名は知らなかったし、正直僕も、最初はどちらが都市名かもわからなかった(ケディリです)。
 それでも初めての海外クラブとの真剣勝負、アジアタイトルを目指す戦いだ。気合はムチャクチャ入った。MDPに広告を入れてはいけないのでページ建てを変更しなくてはならなかったし、相手クラブの情報がほとんどなくて苦労した。それも初めての“闘い”という気分だった。

 前年までJリーグやナビスコカップなど水曜日の試合は駒場スタジアムが使用されてきた。ACLも平日に行われるのが基本だが、アジアナンバーワンを目指す戦いを、収容人数の少ないスタジアムで開催してはクラブの姿勢が問われる、としてレッズは埼スタで19時半キックオフという方針を打ち出した。
 この日の入場者は31,303人。駒場ではとうてい収容し切れなかった。レッズサポーターのACLに対する情熱を知っていたクラブの判断は正しかった。

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 記念すべきACL初ゴールは山田暢久。12分にCKのこぼれを決めた。ケディリはリードされても目立った反撃に出て来ず、自陣ゴール前に人数をかけていたので、なかなか2点目が取れなかったが、前半終了間際に永井雄一郎がゴール。後半は、相手の緩さにレッズの緊張感が薄れたかミスもあり、2-0の時間が続いたが後半30分、小野伸二がエリア外から左足でコースを突く見事なシュートを決めた。

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 アジアへの初挑戦は3-0の完勝で幕を開けた。あまりにも手ごたえのなさに、ACLってこんなもの? と拍子抜けしたことも事実だった。
 しかしそれは大きな勘違いだった。僕たちはACLの怖さをこの後、知っていくことになる。そして本当の面白さも。

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 さて、みなさんは2007年3月7日、何をして何を感じていましたか?

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