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5月6日(2014年) 旧国立競技場最後のJリーグ、甲府対浦和
国立でのアウェイ開催は助かる
ヴァンフォーレ甲府は長い期間、レッズとのホームゲームを旧国立競技場でやっていた。
やってくれていた、という方がしっくりくる。浦和から甲府に行くのと国立に行くのとでは、半日仕事か1日仕事かの違いがある。もっとも試合日って結局1日がかりになることが多いのだが、何にしても近くて大いに助かっていたことは間違いない。
柏レイソルも同様だったが、柏の場合、レッズサポーターにとっては距離や時間のメリットよりも、日立台での試合はチケットが極端に取りにくいから、それが解消されるというメリットの方が何倍も大きいだろう。
柏戦の場合は、国立なら「(チケットが取れるから)行ける」という表現になるが、甲府戦の場合は、国立なら「(近いから)行く」というサポーターが増えたと思う。
J1での甲府対レッズは「17,000人」
甲府とレッズがJ1で初めて対戦したのは2006年7月29日の第16節、J2時代の2000年以来6年ぶりの小瀬スポーツ公園陸上競技場だった。
J1初対戦。学校が夏休みの土曜日。ナイトゲームでも18時半キックオフだから電車でも日帰り可能。いろんな条件が重なり、非常に多くのレッズサポーターが押し寄せた。もちろん甲府サポーターも大勢詰めかけただろう。
入場者は17,000人だった。
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あり得なくはないが、これほどキリの良い数字はJリーグでは見たことがない。かつてACLのアウェイではあった気がする。
小瀬のキャパシティーは1万7千人。おそらく何らかの理由でこれを超える数が入ってしまったのだろうと僕は推測した。そのまま生の数字を発表するわけにはいかないので、1万7千人とした、という可能性が一番高い。そこを16,985人とかにしなかったところに好感が持てた。何年も入場者を適当に、しかも多めに発表していたクラブとは違う。
4シーズン、甲府は国立をホームに
翌2007年から2014年までの8年間で、甲府は4シーズンJ1で戦っているがその4回ともホームゲームを旧国立競技場で開催した。
入場者数は2万1千人から3万6千人の間で、マックス1万7千人の小瀬で開催するよりは増収にはなっただろうから、甲府から120km離れた国立でやった甲斐はあったと思うが、甲府のファン・サポーターは、ホームゲームなのに東京まで足を運ばなければならず、そこは少し申し訳ない気持ちだった。ちなみにこの4シーズンで、甲府が国立でほかにホームゲームを開催したのは2014年3月1日の鹿島アントラーズ戦だけで、こちらは時期的に小瀬の除雪が間に合わないから、というのが理由だった。
旧国立最後のJリーグとなった
2014年5月6日(火・休)、浦和レッズはアウェイの国立競技場でヴァンフォーレ甲府とJリーグ第12節を行い、0-0で引き分けた。2020年東京五輪のために改修工事に入る国立競技場で開催された最後のJリーグだった。
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サッカー選手なら誰でも思い入れがある、このスタジアム最後の試合に先発したレッズの選手は、GK西川周作、DF森脇良太、那須大亮、槙野智章、
ワイドに梅崎司、関口訓充、ボランチに柏木陽介、阿部勇樹、前線は李忠成のワントップに原口元気、興梠慎三のシャドーという11人。なお甲府の先発に元レッズの盛田剛平がいた。
試合はスコアレスドロー。レッズは特に終盤、勝点3を目指して猛攻を仕掛けたがゴールを割れなかった。関根貴大と鈴木啓太が途中出場。出番はなかったがベンチには加藤順大、濵田水輝、永田充、青木拓矢、平川忠亮5人が入っていた。
入場者は36,505人。これが旧国立最後のJリーグになったのはたまたまかもしれないが、その機会をレッズとレッズサポーターが得ることができて、僕はいつも以上に甲府に感謝した。スタンドのあちこちでは、記念写真を撮るサポーターの姿があった。僕も撮ってもらった。
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2015年から甲府対レッズの試合は小瀬がネーミングライツで名前を変えた山梨中銀スタジアムで行われた。今後、甲府がJ1に昇格したとき、入場制限がなければ、新国立競技場を使用できるのだろうか。
さて、みなさんは2014年5月6日、何をして何を感じていましたか?
※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。
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