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5月5日(2004年) 力関係が変わった! 鹿島に2タテを食らわす1勝目

 先日、5月3日にヴェルディ川崎の話をした。
 Jリーグ初期はほとんど勝てず、3シーズン目にようやく挙げた2勝目もPK勝ちだが、何ものにも代えがたい喜びだった、という話。

最も勝ちたいチームはどこ?

 そのころ、ヴェルディ以外にもほとんど勝てていないチームはあったが、今ではその多くが「分が悪い」というぐらいの対戦成績になっている。
 さて「オリジナル10の中で、最も勝ちたいチームはどこ?」と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか。
 僕も自分で言いながら、複数の名前が浮かぶが、一つに絞るとしたら…。
 鹿島アントラーズ!
 違いますか?
 違うとしたら、若い人もしくはサポーター歴が長くない人かもしれない。

肌感覚で知る「天敵」鹿島の強さ

 僕は単純に、あるいは本能的に「勝ちたい」という気持ちなのだが、数字にもそれは示されている。
 各チームとのリーグ戦対戦成績を算出してみると、鹿島だけが勝率4割を切っており、「オリ10」の9チームの中で一番悪いのだ。全試合観ているから、それを肌感覚で知っているのかもしれない。
 ※勝率=勝ち数÷(試合数-引き分け数)で算出

通算ではまだまだ黒星基調だが

 ヴェルディとの対戦成績は2004年を境に、レッズの勝ち数が負け数を上回るようになったが、鹿島とのそれはまだ黒星基調だ。2021年を終えて19勝10分け33敗だから、今季以降全勝しても7年かかってようやく対等になる。まったく、よく負けたものだ。
 だが、まんべんなく分が悪いわけではない。この30年を10年ごとに区切ってみる。

 1993年~2002年:4勝20敗
 2003年~2012年:7勝7分け6敗
 2013年~2021年:8勝3分け7敗

 最初の10年は圧倒的に負けている。勝った4試合は、すぐに言えるほど貴重な出来事だった。93年2ndの駒場、95年1stの大宮、98年1stのカシマ、99年1stの旧国立…、なんだ1スタジアム1勝かよ!
 しかし、第2期と第3期は1試合だけだが勝ち越している。だから2003年以降からJリーグを見始めた人は、鹿島との対戦をそれほど分が悪いと感じていないのではないか。もちろん「嫌い」という感情は別だが。

03年ナビスコ杯決勝以降、好転

 この力関係が変わったのは、やはり第2期の始まりである2003年だ。
 レッズがナビスコカップ決勝で、前年の雪辱を果たし優勝した年。リーグ戦では2ndステージ最終節、埼スタで対戦した。鹿島は他会場の結果次第だが、ステージ優勝の可能性があった。そして鹿島は2-1とリードし、優勝への条件を整えていた。他会場が一足先に終わり、このままなら優勝と、鹿島ベンチが騒ぎ出したとき、レッズが同点に追い付き、鹿島の夢を打ち砕いたのだった。

駒場、大宮、カシマ、国立、そして

 そして今日、5月5日の話になる。
 2004年5月5日(水・祝)、浦和レッズは埼玉スタジアムに鹿島アントラーズを迎え、Jリーグ1stステージ第8節を行い、1-0で勝利した。これは鹿島からのリーグ戦通算5勝目だった。

 子どもの日の試合は56,070人でふくれ上がった。選手入場の際、ゴール裏にはサポーターが掲げ持つ赤と白のビニールシートでチェック柄が描かれ、今日は特別な試合だぞ、と選手と仲間たちに訴えていた。いきなりスタンドに模様が浮かび上がる様は、いつ見ても見事だった。

 試合は66分、田中マルクス闘莉王のフィードを受けた三都主アレサンドロが左クロス、それをエメルソンが決める、という形で先制。その1点を守り切った。

MDPから

埼スタで鹿島に初勝利、これは序章

 満員の埼スタで鹿島に勝った。初めてのことに誰もが歓喜した。
 だが、これは序章だった。このシーズン、レッズは2ndステージのアウェイでも勝って鹿島を2タテするのだ。2タテという言葉がこれほど気持ち良く響く相手はほかにないだろう。
 2勝目の詳細は、このマガジンが続いていれば、10月23日に書く予定だ。
 ほら、あの日だよ。

 さて、みなさんは2004年5月5日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください.


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