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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 7月編

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「あの日のわたしたち」7月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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#サンフレッチェ広島戦

7月31日(1993年) 大敗のあとPK勝ち、五分のスタートに希望

 Jリーグ元年。浦和レッズは最初の大会である1stステージを3勝15敗の最下位で終わった。しかも第16節には、ホームの駒場競技場で鹿島アントラーズに敗れ、相手にステージ優勝を決められる、という屈辱も味わった。  前年のナビスコカップ予選リーグ5位、天皇杯ベスト4という成績から考えれば、優勝候補とは言えなくても中位で終わってもおかしくないと思っていた。  主力として獲得した2人のアルゼンチン選手が絶不調、相次ぐ選手のケガなどが不振の直接的な要因だと思われるが、当初は専用の練習場

7月8日(1995年) ここにはレッズを勝たせる何かがある

 僕が「大宮伝説」という言葉を好んで使うのは、「伝説」という部分にどこかスピリチュアルな響きがあるからだ。この1995年のレッズは、大宮サッカー場でどこか神がかり的な勝ち方をしていて、それがアウェイ戦にも波及していた。こう言っていいと思う。その代表的な試合が27年前の今日だった。  1995年7月8日(土)、浦和レッズは大宮サッカー場にサンフレッチェ広島を迎えて、Jリーグ1stステージ第22節を行い、3-2で勝利した。逆転での延長Vゴール勝ちだった。 89分に勝ち越された

7月3日(1993年) 背番号9が挙げた決勝点、これがJリーグ3勝目

 1993年7月3日(土)、浦和レッズは駒場球技場(訂正:駒場球技場って、どこよw。もちろん駒場競技場の誤りです)にサンフレッチェ広島を迎えて、Jリーグ1stステージ第15節を行い、1-0で勝利した。そろそろステージ終盤に差し掛かろうかという時期で、これが3勝目だった。  6月12日に清水エスパルスに逆転勝ちして、ステージ2勝目を挙げたが、その後が続かなかった。第10節からはリーグ戦二巡目となり、多少なりとも相手のことがわかっていたはずだが、それでも勝てなかった。  一つに