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7月8日(1995年) ここにはレッズを勝たせる何かがある

 僕が「大宮伝説」という言葉を好んで使うのは、「伝説」という部分にどこかスピリチュアルな響きがあるからだ。この1995年のレッズは、大宮サッカー場でどこか神がかり的な勝ち方をしていて、それがアウェイ戦にも波及していた。こう言っていいと思う。その代表的な試合が27年前の今日だった。

 1995年7月8日(土)、浦和レッズは大宮サッカー場にサンフレッチェ広島を迎えて、Jリーグ1stステージ第22節を行い、3-2で勝利した。逆転での延長Vゴール勝ちだった。

89分に勝ち越されたが

 6月28日、横浜マリノスとの第20節で勝敗を五分に戻したレッズは、アウェイの第21節、柏レイソル戦にも勝利。11勝10敗と勝ち越すと同時に、第19節のセレッソ大阪戦から3連勝とした。このシーズン、3連勝は3度目だった。
 チーム初の4連勝を目指す広島戦。もちろん大宮は9,186人の満員だった。
 22分に福田正博が先制。しかし後半、相手にペースを握られ61分に追い付かれる。拮抗した展開の中、89分に勝ち越されてしまう。当時の記録は今とは違い、秒を切り捨てで表示するから、もう90分まで1分を切った時間帯だ。万事休…しなかった。

 今はアディショナルタイムが表示されるし、それをだいぶ過ぎると負けている方の攻撃が続いていても笛が吹かれる。しかし当時はアディショナルタイムを明確にする決まりがなく、試合中にロスタイムを計算していても、細かいところはレフェリーの胸三寸だった。そして終了の笛はプレーが途切れたところで吹かれるのが常だった。
 レッズは1点を追って猛然と反撃した。90分を過ぎると、いつ笛が吹かれてもおかしくない。シュートやクロスがはね返されてもすぐに拾って二次攻撃、三次攻撃に移る。タッチを割りそうなボールを必死で追いかけボールデッドにしない。
 スタンドのサポーターは、それまでよりいっそう声を大きく合わせコールを続けた。ボールがラインから出ても、コールが続いているとアウトになったことを感じさせない。
 あのときのサポーターは「1点取るまでは笛を吹かせない」。そんなつもりでいたと思う。

ついに同点、そしてVゴール

 そして90分をだいぶ過ぎたころ、杉山弘一が左からクロス。ギド・ブッフバルトが相手と競り合ってこぼれたボールを福永泰が左足ボレーで蹴り込んだ。
 同点。
 広島側はロスタイムが長すぎると抗議していたように思う。実際には92分過ぎだったという話もあるので、それほど長いロスタムだったわけではないのかしれない。だが僕には自分の後ろにいるゴール裏のサポーターと、自分の前にいる選手たちが一体となって、時計の針を止めていたような気がしてならなかった。ちなみに福永のゴールも89分。このころは89分を過ぎたら全部そういう表記だった。

MDPから

 まだ勝ったわけではない。だが、なぜかもうこっちのもの、という気がしてならかった。そして延長に入ってわずか3分過ぎ。山田暢久の右クロスを福田がヘディングで合わせ、ボールはゴールへ。
 劇的な死闘の決着は実にあっさりとついたのだった。

 この大宮サッカー場には、得にレッズサポーター側のこちらのゴールには、何かがある。
 そう感じた夜だった。

 さて、みなさんは1995年7月8日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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