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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 7月編

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「あの日のわたしたち」7月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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#オフト監督

7月31日(1993年) 大敗のあとPK勝ち、五分のスタートに希望

 Jリーグ元年。浦和レッズは最初の大会である1stステージを3勝15敗の最下位で終わった。しかも第16節には、ホームの駒場競技場で鹿島アントラーズに敗れ、相手にステージ優勝を決められる、という屈辱も味わった。  前年のナビスコカップ予選リーグ5位、天皇杯ベスト4という成績から考えれば、優勝候補とは言えなくても中位で終わってもおかしくないと思っていた。  主力として獲得した2人のアルゼンチン選手が絶不調、相次ぐ選手のケガなどが不振の直接的な要因だと思われるが、当初は専用の練習場

7月26日(2003年)オフト監督

オフト監督は、2002年から2年間浦和レッズを率いてくれたのですが、その後のレッズの躍進の礎を作った監督だと私は思っています。 選手には基礎的な事を徹底してくれ、規律を重んじていました。追い越し禁止など、疑問に感じることもありましたが、オフト監督が退任した後、日本代表も、ジュビロ磐田も浦和レッズも強くなったところを見ると、基礎を作ってくれていたんだと感じます。 監督の2年目に入ってから、少しづつ勝ちが先行するようになり、この7月26日のベガルタ仙台戦で勝ち、レッズはもう2度