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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 4月編

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「あの日のわたしたち」4月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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#埼玉スタジアム2002

◎4月30日(2017年) 両者対極の成績で迎えた試合は「まさか」の結果に

2017年4月30日(日)、浦和レッズはNACK5スタジアム大宮で、大宮アルディージャとJ1リーグ第9節を行い、0-1で敗れた。5年前で止まっているさいたまダービーだが、今のところ最後になった2017シーズンの第1戦は、まさかの結果だった。いや、これがまさかではないのが、さいたまダービーなのだが。 3年連続リーグ優勝を逃していたレッズ  前年、Jリーグで2ndステージを制し、年間1位の勝点を積み上げたものの、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れJリーグチャンピオンの

4月28日(2018年) VIP席に招待してもらった日

職場の新卒さんから、この日のレッズ戦に誘われました。なんでも、お父様がスポンサー企業さんにお勤めで、お世話になってる方と行きなさいともらったチケットが4枚あるとのこと。その人はサッカー初観戦なので、友達も誘うけれど、サッカーをよく観に行ってる人にも来てほしいと。スポンサーさん絡みとなればいい席に違いないと、二つ返事でOKしました。 翌日チケットをもらってびっくり。長い埼スタ観戦歴の中でも過去に数度しか足を踏み入れたことのないVIPエリア、しかもビューBOXではなくVIP席の方

4月25日(2015年) ミシャ式との相性抜群だった名古屋戦

清尾さんの記事にある1998年4月は以前にも書いた通りで、バンコク赴任からの帰国直後で、ドタバタしてました。ですので、4月25日は2015年にしたいと思います。 ミシャ時代は名古屋との相性はすこぶるよかった記憶があります。 この試合も点差こそ2-1でしたが、相手監督だった西野さんに内容は点差以上の差があったと言わしめる程、一方的な内容でした。 それでも失点するのがミシャ式なんですけどねw。

4月22日(1995-2017)娘の誕生日と伸二帰還

Jリーグ3年目の1995年4月22日朝、娘は生まれました。レッズはホルガー・オジェック監督が就任した飛躍のシーズン。この日はアウェイで広島と対戦していたのですね。 1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件があり、日本が不安な空気に包まれていた春。浦和に引っ越し、勤務先も変わり個人的にも激動の1年でした。 娘は6ヶ月の時国立競技場でJリーグ初観戦、小さい頃は、埼玉スタジアムのオープニングイベントやレッズの試合も見に行きました。 22年後の2017年4月22日札幌戦は、初め

4月21日(2007年・2012年) 悔しい敗戦

2007年のこの試合、試合内容はよく覚えていませんが、不可解な判定が多かったのと、負けて悔しかったのは、とてもよく覚えています。 そして、2005年から続いていたホーム無敗記録が途切れてしまったのだなぁと残念に思ったことも。 この記録、今年川崎に破られそうになりましたが、ギリ、タイ記録で破られずに済みました。次に破るのは、もちろん我が浦和レッズであってほしいので、それまでこの記録はこのままであってほしいものです。 4月21日と言えば、もう一つ。 2012年4月21日。NA

4月11日(2017年) 西川神降臨

慎三がアウェイで食らったレッドカードにより、この試合は出場停止。3421がど定番のミシャにしては珍しく、ズラタンとラファの2トップで3412。そう言えば、ズラタンどうしてるかなあ。 このツートップで結果を出して先制。ところが、ミシャが圧倒的存在感だった青木を下げて陽介をボランチに据えるとたちまち大混乱。二度もPKを与える展開に。 しかし、ここで西川が1回目はセーブ、2回目もプレッシャーを与えて外させる素晴らしい活躍。この他にもミドルシュートを防ぎまくり、正に神降臨。 勝利と共

4月9日(2013年) 埼スタパブリックビューイング

前年のJリーグ最終節で勝利を収めて3位に滑り込み、2008年シーズン以来の出場権を得た2013年のACL。レッズが出場していない間にレギュレーションが変わり、グループステージから強豪チームとの対戦ばかりとなっていた。 特にこの頃の中国は、不動産バブルで潤沢な資金があり、欧州や南米からエース級外国人をチームに抱えていた。加えて韓国チームは日本チーム相手になるとスーパーサイヤ人化するので、手強い相手ばかりだった。 この日はアウェイだったので、普段であればスカパーの追加契約で日テレ

4月6日(2013年) 忍者 前田遼一

選手ってジンクスを気にする人と全く気にしない人と分かれるらしいですが、前田はけっこう気にしてたみたいですね。それが自分で責任の負えるものならまだしも、相手チームの、しかも降格に係るとなると心中ずっと穏やかではなかったのでしょうね。 前田遼一は暁星高校という超進学校出身で、サッカー部も強豪。ただし進学校だけあって、高卒でプロになる選手は前田遼一が最後になるかもしれないと、当時の監督さんだったかなぁ、インタビューされていた記事を読んだ記憶があります。 そういう頭のいい人間だから、