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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 4月編

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「あの日のわたしたち」4月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーター…
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#バンコク

◎4月30日(2017年) 両者対極の成績で迎えた試合は「まさか」の結果に

2017年4月30日(日)、浦和レッズはNACK5スタジアム大宮で、大宮アルディージャとJ1リーグ第9節を行い、0-1で敗れた。5年前で止まっているさいたまダービーだが、今のところ最後になった2017シーズンの第1戦は、まさかの結果だった。いや、これがまさかではないのが、さいたまダービーなのだが。 3年連続リーグ優勝を逃していたレッズ  前年、Jリーグで2ndステージを制し、年間1位の勝点を積み上げたものの、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに敗れJリーグチャンピオンの

4月27日(1996年) 船の思い出

この日のクルーズツアーのことは、清尾さんのYoutubeで見た時に、すごい企画だなと恐れ入ったことがあります。 さて、自分は1996年当時、バンコクに在住していたわけですが、ここでも船は大活躍でした。 以前書いたように、この頃のバンコクは大渋滞・超渋滞が当たり前。車以外の交通手段というと、真っ先にあがるのはバイクタクシーでした。 スカートをはいたOLさんですら使ってるくらいメジャーです。後部座席に横向きに乗るという、日本の昔の高校生が自転車でよくやってたあれです。 でも僕ら

4月23日(1997年) 天才肌 磯貝

磯貝がレッズに加入したというのは、バンコクにいても情報として知っていました。日本の新聞は毎日読むことができたので。 あの磯貝がレッズかぁと思った記憶があります。 結果、レッズでは目立った活躍はできませんでしたが、確か引退した後プロゴルファーになったんでしたよね。 天才肌な人物だったんですね。 1997年4月は、以前にも書いたようにバンコク赴任3年目を迎えたところでした。 ゴルフに熱中していて、この年度で77ラウンド達成し、そしてつい最近までの生涯ベストスコアだった77を出した

4月22日(1995年) バンコク渋滞事情

現在では、タイのスワンナプーム国際空港から市内へは高架列車があり、バンコクの有名観光地は地下鉄とモノレールの駅がほぼカバーするようになりました。バンコク市内では車に乗らなくても主要な所に移動できる環境が実現した訳です。 しかし、自分が赴任スタートした1995年当時、上の空港や交通機関も、まだまだ工事に取り掛かったばかりで、いつ完成するともしれない状態でした。 日本では渋滞と行っても時間が経てば進みますよね。しかし、バンコクの場合、ひどい時は本当に動きません。 幸い自分は運転手

4月19日(1997年) 在タイ3年目スタート

1995年の4月からスタートしたタイ・バンコクへの赴任も丸2年が過ぎ、3年目に突入した時期です。 日本に一度も戻ることなく過ごしていたので、感覚がほぼタイ人的になってましたw。 言葉も日常会話はもちろん、最初はアラビア文字と大して区別がつかなかったタイ文字もけっこう読めるようになってました。今でも会話はそれなりにできるので、いつかACLの遠征で役に立つことを願ってます! 職場の先輩から教わった、日本人はほとんど行かない中華街の奥にあるタラート(市場)、通称泥棒市場(笑)が好き

4月8日(1995年) 空前の円高の中での海外赴任スタート

1995年はバンコクに赴任して最初の土日だったので、生活をスタートさせるために慌ただしい日々を過ごしていました。 まだ車もなかったので、この頃は一年先輩の代のお世話係さんに車と運転手さんを頼って買い物に行きました。 日本で言えばイトーヨーカドーとかイオンに当たるような庶民的デパートであるセントラルデパート(タイ語でハーン センターン)でいろいろ買い込みました。 この頃は1ドルが80円を切って空前の円高でした。先輩達からは俺たちの時より札束が一つ多い!って羨ましがられました。

4月3日(1996年) 在タイ2年目スタート

自分がバンコク赴任した当時、日本人は常時3万人くらい在留していると言われてました。勤務先も毎年20人前後が入れ替わるので3〜4月は大忙しです。 そんな中で、自分が2年目になると、3年目の同僚とペアになって、新しく赴任した方を家族ぐるみでサポートするお世話係という制度がありました。 自分も1年目の時にはとてもお世話になって助かったので、今度は恩返しっていう感じですね。 比較的家族構成が似るように組み分けされて、うちは長男が生まれて8ヶ月で赴任したので、やはり赤ちゃんのいる家族の