マシュマロのお返事:キルケゴール~!追憶の恋についてどう思う~!?
こんにちは、かばねです。『愛のわざ』感想note、読んでくれたかな? まだの人は私の心の叫びとキルケゴールの美しい文章を楽しんでね。
さて、そんな『愛のわざ』noteについてこんなお便りが届きました。
note……読んでくれてありがとうございます……!!キルケゴールの「良さ」を感じていただけてオタクは感激しています……『愛のわざ』……ぜひ読んでみてほしい……中古なら上下巻セットで1500円くらいで買えるから……!!あと、天野の顔を推してくれてありがとうございますめちゃくちゃ元気になりました!!!
して、本題の「変化する生者より不変の死者の方がラクじゃね?」問題ですけど、私はね……めちゃくちゃわかりますよ~~!!!!! なんといっても私、「一貫性」が性癖なので……。
この世に存在するものはすべて変化していて、瞬間ごとに新しい「刺激」を与えてくれるわけですけど、その中で愛であったり信念であったり、一つのものを保持し続けるのってめちゃくちゃ大変ですよね~。そりゃあ、恋人の一挙一動は彼あるいは彼女への愛着を強めるのに役立つかもしれませんけど、逆にそれによって愛が離れる可能性も同時に含んでいますからね。そのせいで愛や信念の一貫性を保つという問題が難しく…………はあ…………未来……可能性……生成……変化……実存………………、要らん…………………………。
ちなみに、キルケゴールも「変化があると大変じゃね?」って話はいろんな形でしています。キルケゴールが実存を強調するのも、常に変化に晒されている実存の中で信仰を保つのってめちゃくちゃ難しいよねって話をするためですしね。例えば、以下の引用。
あんま分かりやすい箇所じゃなくて申し訳ないんですけど、要は実存ってのは時間=変化する現実の世界と永遠=生成変化がない思想の世界の混合物であって、その二つの異なる要素を同時に持たなきゃいけないところが実存のメンドクセーところなんだよねってことです。
なので「死者の方が愛の対象として安心する」というか「記憶の中だけの恋の方が安全」みたいな話もたくさんしていたはずなんですよね~~私もちょいちょい「分かるな~!」と思いながら読んでたきがするし。それこそ『反復』の冒頭にある「追憶の愛」と「反復の愛」の対比とか、そんな感じだった気がする!引用しまーす!
ここでは追憶の恋が未来に関わらないがゆえに期待や不安といった可能性に関わるものに煩わされないことがにおわされ………あれ……なんか思ったより喋ってくれてないな…………?
まさか、幻覚…………………………?(研究あるある)
馬鹿な!?!安全な追憶の中だけに生きちゃう系の話たくさんあったはずでは!!!!?だって、キルケゴールはその詩的想像力で全世界を追憶にしてしまって病むレベルの男だぞ!!??!以下の引用を見ろ!!!!
キルケゴール~~~…………………………………ッ!!!
あれ、でも詩人って現実に人間が居ようといまいと全てを追憶にしちゃうチカラがあるだから、わざわざ心の安全のために死者を対象に取る必要ないか……。むしろ変化の中で愛しつづける忍耐がないことを嘆くような話の方が多かったかもしれな………………、
………………………………………………。
…………うん!!!!!!!!そういうこともある!!!!!
とはいえ、「追憶の恋の方が楽しいよね~」「変化があると面倒くさいよね~」という話は(最終的に否定するための前振りとして)色んな所でされています。『反復』の青年君パートも、追憶の恋がいかに不幸かを示すために挿入されている話なので該当するでしょう。ほかにもちょっと関係ありそうな部分を探して来たのでご覧ください。まずは『人生行路の諸段階』での、ヴィクトル・エレミタの演説より。
『人生行路の諸段階』の第一章「酒中に真あり」は、ヴィクトルを始めとした仮名著者たちが飲み会を開き、プラトンの『饗宴』さながら「恋愛」について語り合うお話なのですが、ここでヴィクトル・エレミタは「恋愛において女は消極的なものである方がよろしい、何故ならその方が男の理想性を呼び覚ますからだ」と語っています。ヴィクトルは世捨て人キャラなので、現実から思想や追憶の中に逃れていきがちなのですよね。
なので「恋愛」についての立場も消極的。現実の女を愛し続けるよりも、理想像を描くだけの素材を受け取ったらさっさとおさらばした方がいいですわ、何といっても私は世捨て人なので、みたいな話を熱く語ります。しまいには「妻は、ほんとうにその夫の中に理想性を目ざますと言うことになると、死ななければなりません」(p.115)とか言い出します。理想性を求めるだけなら、恋人は死んでくれちゃった方が都合が良いよねってコトです。この辺は「死者の方がラクよね~」という話に繋がるのではないでしょうか。
さて、お次は『あれか、これか』「ディアプサルマータ」より引用です。お聞きください。
カッコイイね~~~~!!!!!
これは「実存=生ってメンドクね?」シリーズに連なる記述ですね。ここで著者が生に飽き飽きしているのは退屈からなので、変化を疎ましく思う立場とはだいぶ違うのですが、キルケゴールって結構「死」を格好よく描きがちよねと思ったので引用してみました。
前回のnoteで取り上げた『愛のわざ』第2部第9章でも「偉大な思想家である死」という表現が見られたり、『反復』でも反復のない生にあきあきしたコンスタンティンが「死の説得力は素晴らしい!」とたたえるシーンがあります。他にも、追憶=想起が中心となる抽象的思弁の立場を実存的に貫徹しようとすると自殺が正しい帰結だと言っていたり、「実存してるせいで色々面倒だよな!わかるぜ!」みたいな話はちょこちょこ出てきます。この延長線をたどっていけば、キルケゴールが「ま…恋愛対象にするなら死者の方がラクだろうな…」と言ってくれる未来を掴める……かも!???
いやあ、もうちょっとキルケゴールが直接的に「死者の方がラクだよな」って話してると思ったんですけど、そうでもなかったですね。たしかに思い返せば、キルケゴールは詩人(ルビ:オタク)だけど空想のことはあまり評価していないし、純粋に詩的なものを頭の中だけで楽しむみたいなことしてない気がするな。あくまでも現実の「反省」として詩があるというか……、
ま、あくまで印象(イメージ)ですけどね!!私はキルケゴールの「美」系の分野は詳しくないのでわかりません!!!(投げた)
ちょっと回答になっているかはわかりませんけど、マロのおかげで色々読み返せて私は楽しかったです。質問にかこつけてキルケゴールを紹介できるのがオタク的に美味しいんですよね。こういうネタ振り、大歓迎です!!!!!! マロありがとうございました~!
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