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エゴイスト【2020/5/23】

日記は寝かしつけが終わって、無事帰還できたら書くことにしている。
昨夜はPCの一歩手前まで(文字通り)這って行ったのだけれども、残念ながら力尽きてそのまま朝を迎えてしまった。
日記が書けない次の日は、余計にイライラしているように思う。
1日を振り返ること、自分の気持ちをまとめることは、少なからずストレス発散になっているのだろう。
ということで、今日は時間を見つけて日中に日記を書いてみる。

某俳句賞への応募作は、着々と完成に向けて進んでいる。
あと1週間、なんとか形には出来そうになってきた。
しかしここでホッとして、今月末で力尽きるわけにはいかない。
6月末〆切の2つの賞にも応募したいと思っているからだ。

俳句の世界は、賞がすべてではないと思う。
けれど、わたしのような新米俳人が自身の作品をみてもらうためには、賞を獲るのが一番手っ取り早いだろう。
あとは、粛々と己の世界を研磨していくしかない。
賞は目的ではない。
目指す未来への道標でしかない。
だからこそ、真剣に向き合わなければならない。

今、目の前のことに全力を。
一歩ずつ、進んでいくしかないのだ。

ところで、夫の在宅勤務が7月末まで確定した。
息子氏の幼稚園は6月から再開するとのこと。
また環境が変わるのは、正直少し怖い。
けれど、今のままでも辛い。
求める理想郷になんて辿り着けないのだから、その都度、わたしたちは生活を変えていくしかない。
生活は変えても夢は変えたくないと思っているが、それもわからない。
わからないことだらけで、なんだか笑えてくる。
この笑顔は決して愉楽から来る笑顔では、ない。

最近は、有名になりたいとか、認められたいとか、あまり思わなくなった。
ただ粛々と作品を生み出して、静かにひっそりと発表していればいいのではとすら思っている。
それならば賞になんか応募せずに、自分のサイトででもnoteででも、好きに発表していれば良い。
でも実際は、それだけには留まらない。
だから本当は心の底では、有名になりたいし、認められたいのだと思う。
でも今はそれよりも、誰かに共感して欲しい想いが強い。
余計エゴが強くなったな、と思うけれど。

佳い句って何だ?
その答えはわからないけれど、わたしは読み手が想いを共有できて、人生を重ねてくれるような句を作りたい。

誰かと作品を通して共に生きる瞬間は、どんな喜びにも勝るものだ。
それを知ってしまったから、わたしはもう俳句の世界、文芸の世界から逃れられない。

折角生み出した作品なのだから、1人でも多くの人の目に触れて欲しい。
そんな親心のような想いを胸に、今年も賞へ応募する。


■今日読んだ本

・角川俳句6月号
・優駿6月号


今日もよくできました。
明日ものびのびと生き延びよう。


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