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わたしのおとうさんのりゅう 〔第4回〕

 詩人の伊藤比呂美さんの連載。『エルマーのぼうけん』から、さらに深まる「私」の記憶、父の声。そうして甦ったのは父の膝で聞いたもうひとつの物語、井伏鱒二訳『ドリトル先生物語』(ヒュー・ロフティング作、岩波書店)シリーズ。井伏鱒二に導かれ、父の声で思い出すこの物語のたくみな「ことば」の不思議。「ました」でえんえんとつながれる文章と、ドリトル先生の口癖「これはしたり」の裏側にあったものとは。
 児童文学をきっかけに始まった「私」の記憶、ことばの道行きはさらに新たな場所へ。お楽しみください。

 ドリトル先生アフリカゆき1


 私の父は縁側の籐の寝椅子に横になり、私はその足元に座りました。父が手にしていたのは新書版サイズの「ドリトル先生アフリカゆき」で、父は、私に、それを読みはじめました。
 それはあずき色で、細かい井桁模様がちりばめられた表紙だったという記憶があります。岩波少年文庫の古い版ではなかったかと思います。新書版だったと思っていましたが、その古い版の少年文庫を持っている人に聞いてみましたら、今の岩波新書より縦横数ミリずつ大きいそうです。箱に入っていたはずとその人はいうのですが、私は箱は覚えていません。
 その後「ドリトル先生物語全集」が、表紙にロフティングの絵のついた大きな箱入り版が出て、「アフリカゆき」「航海記」「郵便局」「サーカス」「動物園」「キャラバン」「月からの使い」「月へゆく」「月から帰る」「秘密の湖」「緑のカナリア」そして「楽しい家」。「全集」を集めるのが好きだった父なので、全部買ってくれたはずなんですが、私は読んだはずなんですが、不思議なことに覚えているのは「アフリカゆき」「キャラバン」そして「緑のカナリア」だけなんです。
「キャラバン」と「緑のカナリア」についてまた後で話します。でも「アフリカゆき」で覚えているのは、まずこの場面でした。
「そこで、サラ・ドリトルは、荷物をまとめて出てゆきました。あとは、先生がひとりきりで、動物の家族と暮らすことになりました」
 それからここでした。
「サルのチーチーは、お料理と、つくろいものをすることになりました。犬は、床を掃くことになりました。アヒルは、はたきをかけ、また、寝床の始末をすることになりました。フクロのトートーは帳面をつけ、ブタは庭や野菜畑の手入れをすることになりました。オウムのポリネシアは、いちばん年をとっていますので、家政婦と洗濯ばあさんを兼ねるということに、みんなで話をきめました」
 つまり私にとって、ドリトル先生のお話とは、ドリトル先生という人が、家庭をうしない、動物たちとあたらしい疑似家庭をつくり、その疑似家庭をつれて、世界を興行してまわる、というお話でした。
「家をなくす」「興行してまわる」。それだけ抽出するなら、当時読み始めていた小学館の「少年少女世界名作文学全集」に入っていた「家なき子」と同じようなお話でした。興行はしませんが「ジャングルブック」や「十五少年漂流記」とも似たようなお話でした。

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