罪と罰/町田康
麩屋の弁五郎の密告で牢へ入れられた次郞長は、放り込まれるなり、牢内の仕来りに則ってキメ板という板で背中を打たれた。本来の次郞長の性格を考えれば、「なにをしやがる」と向かって行くところであるが、次郞長は大人しく打たれた。子供の頃、禅叢寺で習った「郷に入りては郷に従へ」という言葉を思いだしたからである。
そんなことでやっとキメ板が終わって、これでやっと畳の上に座られて貰えると思ったらそうじゃない、こんだ、畳を何枚も重ねた上で威張りくさった男が、
「娑婆忘れをさせろ」
と横柄な口調で言った。
娑婆忘れ、というのはこれも御牢内の仕来りのひとつで、これを言った威張りくさった男は名主、所謂、牢名主であった。この場合は名主が自らそう言ったが、多くはそうでなく、手前の、畳を二枚敷いた、三人の囚人のうち一人が代わって言う場合が多かったようである。それには独特の歌うような調子があり、地域によっては文句も概ね決まっていた。それは例えば以下のような文句である。
娑婆からきゃあがった、大まごつき奴《め》、はっつけ奴、そッ首を下げやあがれ、御牢内はお頭、お隅役様だぞ、おうっ、えいっ、一番目に並びやがった一二一六、一候《ぴんぞろ》とり、大坊主野郎奴、汝《うぬ》がようなまごつきは、夜盗もしめぇ、火をつけ得めぇ、割割の明松もろくにゃあ振り得めぇ、本多頭に銀煙管、櫛や笄、簪のちょっくら持ちをしゃあがったり、えらい勢いで申す事、まだまだそんな事じゃあるめぇ、堂営、金仏、本尊、橋々の金物でも、おっぱずしゃあがって、通りの古鉄買、真鍮の下馬に、小安くもおっ払いやぁがって、二文四文の読み歌留多か、薩摩芋の食い逃げか、夜鷹の揚げ逃げでもしゃあがって、両国橋をあっちへこっちへ、まごついて、大やの初か芋源に突き出されてしくじりゃあがったろう、直ぐな杉の木、曲がった松の木、嫌な風にも靡かんせと、お役所で申す通り、有り体に申しあげろ。
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