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岩村の七蔵襲撃事件の真相/町田康

【第29話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 山の中、谷間の小さな村。あたりは既に薄暗い。そんななか、渓川のほとり、後に杉木立を背負った一軒の前に四人の男。しきりになかの様子を窺っている。だが、ひっそりとして人の気配がない。「じゃあ、俺たち、裏をみてこよう」と目配せして、大熊と六太郎が裏の様子を探りに行く。すぐに戻ってきて、「やっぱり、ひっそりしていやがる。ただなかに人の気配はした。七蔵がなかに居やがることは間違《まちげ》ぇねぇ」と言う。
「じゃ、斬り込むか」
「おおそうしよう。嫌な仕事はさっさと済ましちまおう。だけどどうしようか」
「なにを」
「だからこの鎖帷子よ。着ていくか」
「そうだな、どうやらなかにゃ七蔵ひとりしかいねぇようだ。だからこんなもの着ていくほどのこともねぇが万が一てぇことがある。ひょっと七蔵が振り回した刀がブッ刺さるてこともねぇことはねぇ。着て行くに越したこたアねぇだろう」
「よし、じゃあ着ていこう」
 と四人、七蔵方の前で、ごそごそ鎖帷子を着始めた。
「なんか、すごい重いわね」
「なんか着にくいわ」
 そんなことを言いながら鎖帷子を着て、そのうえから各々、着物を着て帯を締め、刀を差しているところへ、七蔵方から二十七、八の、ちょっといい感じの女が出て来た。
 どうやらこの家の神さんらしいのだが、さあこれから斬り込みだ、と気が張っていたところに女が出て来たので、ちょっと気が抜けていたところに、女が愛想よく笑うので国太郎思わず、
「あ、どうも」
 と間の抜けた挨拶をしてしまい、それに続けて大熊が、
「こちら岩村の七蔵さんのお宅と伺ってやって参りやした。七蔵さんはいらっしゃいますかい」
 と比較的ていねいな口調で言ってしまった。
 そうしたところ女、ますます打ち解けた感じになって、
「七蔵は今、ちょいと旅に出ておりますが、もう数日で帰って参ります。旅人さんと、お見受けいたします、何分、山家のこととて大したおもてなしもできませんが、どうかそれまでご滞在なさって、七蔵の帰りをお待ちいただけないでしょうか」
 と言う。これを聞いた大熊が次郞長に言った。
「なるほど、道理でひっそりしていやがると思った。次郎、どうしよう留守だってよ。出直すか」
「うーん、それも面倒くせぇ。仕方ねぇ、折角ああ言ってくださるんだ。待たせてもらおうじゃねぇかい」
「そうかい、じゃ、そうしよう。姐さん、聞いての通りだ。七蔵さんが帰ってくるまで、すまねぇが待たせてくんねぇ」
 と大熊が言うのを聞くと、七蔵の女房、パアッ、と顔を輝かせ、
「そいじゃ、お上がんなさいまし」
 と一同を招じ入れた。
 当時のやくざ社会では旅人がきたらこれを泊めることになっていた。所謂、一宿一飯、というやつである。そしてその家の待遇がよければ、やくざ社会で、「あすこはいい」という評判になり、いざ勢力争いになったときの味方が増える。また、実際に紛争中であった場合は、旅人の腕貸し、と云って、一宿一飯の義理を果たすため、その家の乾分たちと一緒に戦う。
 だから次郞長たちを旅人とみた七蔵の女房は、これを家に上げたのだが、その待遇はきわめてよく、酒を出す肴を出す、下にも置かず歓待をした。
 その様を見るうち一同は妙な心持ちになってきた。
 というのはそらそうだ、自分の夫を殺しに来たとも知らず、一生懸命、酒や肴を用意、愛想よく話相手にもなって、面倒を見ているのである。その女房が酒の代わりをとりに台所に立った後ろ姿を見て国太郎は、
「哀れだぜ」
 と言って酒を嘗めた。

 そうこうするうちに夜になる。七蔵は今日も帰ってこない。四人の夜具を用意しつつ、女房が、
「ああ」
 と嘆息を漏らした。それを聞いて次郞長が、
「姐さん、どうかなさいましたか」
 と問うた。女房はそれに対して、
「お客人の前で溜息なんぞついて申し訳ございません。けど、切なくて出た溜息ではござせん。今のは安堵の溜息、ほっとしたあまりつい洩らしてしまったんですよ」
 と寂しく微笑んで言う。それを聞いた次郞長、内心で、ナニを言いやがる。人殺しが四人、家に泊まってるんだ。ほっとするものなにもあるものか。と思いながら、
「どうしなすった、なにをほっとしなすった?」
 と問うと、女房は答えて言った。

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