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【試し読み公開】学校! 高校生と考えるコロナ禍の365日

2021年11月15日刊行、『学校! 高校生と考えるコロナ禍の365日』の試し読みを公開しています。全国の小中高に対して政府から臨時休校要請が出され2020年3月1日から私立桐光学園中学校・高等学校は前代未聞の長期休校を迎えることとなった。授業は?部活は?修学旅行は?文化祭は?卒業式は?一年間、学校はこのピンチをどう駆け抜けたかーー。生徒、教員、保護者、カウンセラーらの総勢29名による葛藤と希望の365日。目まぐるしい変化と現場の声を追ったノンフィクション。

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さすがにやばいぞ

 後期期末試験がなくなったのは悲しかったですね。ゲームとか自分の好きなことをする時間も削って試験勉強を頑張っていたので。試験は三月の初めに予定されていたんですけど、ちょうどその時期から休校が始まったので不完全燃焼な感じで高一を終えることになってしまいました。

 休校中、はじめはいっぱい休みがあるのがうれしくて。いつまで続くかわからないけれど、こんなにたくさん休めることなんてめったにないと思ってすごく遊んでました。今思うと無駄な時間だったなと思うんですけど、楽しかったのでまあそれはそれでよかったかなと。私はゲームをするのが大好きなのですが、三月下旬に「あつまれ どうぶつの森」というソフトが発売されました。発売日当日に並んで買いに行って、それから一ヶ月くらいすごくやりこんでいました。

 勉強は学校から送られてくる課題をこなしてはいたんですが、深く掘り下げてはいなくて浅く一通りやって終わりにしていました。でも、途中からこの期間中の勉強の仕方次第で後々学力の差がかなり出てくるだろうなと思い始めて、四月の終わりくらいからは真面目に頑張りました。「どうぶつの森」も我慢して。数学の課題がすごく多くて、四つの単元、教科書のページ数でいうと百五十ページくらいを自習で終わらせないといけなかったんです。それを見たときに「さすがにやばいぞ」と気づきましたね。先生から動画が配信されてそれを見ながらやる課題もあったんですが、動画だと普段の授業とは違って何回でも見られるという安心感がありました。はじめの方はとりあえず一回見ておけばいいだろうと思っていましたが、後半からはひとつの動画を何度も見て内容をしっかり理解するようにしました。

 六月から分散登校が始まりました。クラスを出席番号の偶数・奇数で半々に分けて、月水金は偶数、火木土は奇数のような形で登校しました。私のクラスは四十五人いるので、一度に登校するのは二十数人でした。桐光学園では中学校から通っている中入生と高校から入ってきた高入生が高校一年のときは別々のクラスになっているんですが、高二からは目指す進路によってクラス分けがされます。その大規模なクラス替えが行われるタイミングで休校と分散登校があったので、クラスメイトの顔と名前がなかなか覚えられませんでした。

 一学年六百人くらいいるので初対面の人も多いし、その上みんなマスクをしているので顔がわかりづらい。マスクをした顔で覚えてるから、外している顔を見ると違和感があります。食事中とかマスクをしていない状態で急に振り返ったりする人がいると「えっ、この子こんな顔だったの?」って思ったりしますよ。全員一斉登校になったのが七月の途中で、その後すぐに夏休みに入ってしまったので、全員の顔と名前が一致するまで九月か十月までかかってしまいました。

各パート代表一人ずつだけの合奏

 私が所属していた吹奏楽部は、高校二年生の定期演奏会を終えて引退することになっています。前回、私が高一のときはその定期演奏会が中止になってしまって、高二の先輩を送り出せなかったのが心残りでした。二〇二〇年度の定期演奏会は観客を保護者のみに限定する形で無事開催でき、私たちの代は最後の発表の場を持つことができました。アンコールでは去年の高二、今の高三の先輩方にも加わってもらって一緒に演奏できたので、去年の心残りも少し晴らせたし自分も気持ちよく引退できました。

 私はオーボエの担当です。休校中は楽器を持ち帰って家で練習していました。腹筋や口のまわりの筋肉が落ちてしまったら吹けない楽器なので、部活動がない間も筋トレや腹式呼吸のトレーニングを毎日していました。トレーニングや楽器の練習のメニューは部長から指示があって、それをこなしつつ自分で決めたメニューもやっていました。楽器を一日吹かないと三日ぶん下手になると言われます。私は中学のときはバレーボール部だったのですが、その頃も同じことを言われていました。だから、休校中も毎日続けることを大事にしていました。

 登校が再開してからもすぐには部活はできませんでした。夏休みに週三日くらいのペースで再開したと思います。吹奏楽部は年に一度しか大会がないのですが、それが中止になってしまったので、再開直後はみんなモチベーションがかなり落ちてしまっていました。私も部活をやめるかやめないかというところまで悩んでしまいました。

 そんなとき、部長がラジオ番組の企画に応募してくれて採用されて、ラジオで私たちの演奏が流れることになったんです。コンクールや発表の機会がなくなった音楽系の部活を応援する企画でした。プロの方が学校に来てくださって、立派な機材で録音して編集してもらいました。そこでは野球部の試合を応援するときに演奏する曲をやりました。今年は野球応援の曲も吹けないのかと落ち込んでいたのでとても嬉しかったです。その企画に採用が決まったことで目標ができて、モチベーションも上がり、部の雰囲気もぐっとよくなりました。応募してくれた部長には本当に感謝しています。ラジオの放送で他の学校のいろんな演奏を聴けたのも楽しかったです。

 普段の練習でもコロナの影響で大変なことがいろいろありました。まず換気を一時間に四回しないといけない。個人練習をしていて本当はずっと続けて吹きたくても、換気のタイミングがくると中断せざるを得ません。「今いいところだったのに」となることがしょっちゅうありましたし、練習時間が限られている中で換気の時間はけっこうなロスタイムになりました。

 あと大きかったのは合奏ができないことです。八十名近く部員がいるので全員が一部屋に集まることはできません。なので、楽器のパートごとの代表一人だけが集まって合奏をしました。そして合奏に出た人が先生からの指示をパートの他のメンバーに伝えます。同じ楽器でも一人ずつ吹いている楽譜は違うので、この方法では音が歯抜けになってしまってなかなか合奏という感じにはなりませんでした。でも他にどうしようもなく、最終手段という感じでこの方法をとっていました。定期演奏会前には広いスペースを確保することができ、全員での合奏ができるようになったので救われました。その他、マスクのつけ外しも意外と大変でしたね。楽器を吹くときはマスクを外しますが、しゃべるときはマスクをつけないといけません。後輩と一緒に練習するときは、マスクを外して楽器を吹いてマスクをつけて指導をしてまた外して吹いて、というのがけっこうわずらわしかったですね。でも必要なことなので。

心がおいつかない

 五月の修学旅行も九月の輝緑祭(文化祭)も十月の体育大会も、休校中に中止が決まりました。修学旅行ははじめは延期という形でした。カナダに行く予定だったのですが、海外は無理だということで代わりに九州への研修旅行が計画されました。でもそれも第二波のタイミングで中止になってしまって、さらに代替行事として三月に関東圏内での研修が予定されていたのですが、緊急事態宣言の延長によりまた中止に。結局一年間クラスのみんなとどこかに行くことはないまま終わってしまいました。行事の面では高二が一番充実しているはずだったのに、楽しい高二はどこにいっちゃったんだろうっていう感じです。さびしい一年でしたね。ずっと勉強だけでした。まあ今思うと勉強に集中できてよかったなとも思うんですが。

 二〇二〇年から今までにかけてどこにも行けなかったぶん、友達と「卒業してコロナが収まったら絶対ここに行こうね」って計画をいっぱいしました。高一でもそういう話はしてはいたんですが、より一致団結してというか、絶対に行こうっていう思いがみんな強まっていました。溜まっているものを出さないとやってられないというか、こういう話を真剣にすることで気を紛らわせていた気がします。一年間つらかったけど、おしゃべりが楽しかったからなんとか乗り切れた。

 高一のときは自習も学校でやるというルーティンができていて、家ではあまり勉強に集中できていませんでした。学校に朝早く行って自習していたのですが、休校でそれができなくなって家での勉強が絶対になったんですね。家では集中できないなんて言ってられなくなった。やらないと自分が後悔するだけなのでやらなきゃっていう感じですね。家での勉強を習慣化せざるを得ない環境に自然とおい込まれたのはよかったと思います。

 今は春休みで、二〇二一年四月からいよいよ高三になります。私は高校受験は推薦で合格したので、ペーパーテストの入試の経験がないんです。だから大学入試は不安です。去年の問題を解いてみたんですけど、全然できなくてやばいなと思いました。いまだにもう高三になるっていう実感がわかなくて。すごく早いですね、高一から高三って。心がおいつかない。この間部活を引退して、やっと高三になるんだなっていう自覚がちょっと湧いてきました。あぁ勉強しなきゃなって。高三になるのはけっこう怖いですし、緊張というか、自分ちゃんと大学に行けるかなっていう不安はありますね。


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