また草鞋を履く/町田康
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和田島の太左衛門に恨みを持つ三馬政を焚きつけ、津向の文吉と喧嘩をするように仕向けたのは、津向の文吉の乾分で、堅気のお神さんと手に手を取って蓄電、挙げ句の果てにこれを宿場女郎に叩き売った三右衛門という悪い野郎であったが、この男こそ誰あろう、幼き次郞長が初恋の相手、あの福太郎であった。
だからここでもこれより後は福太郎と呼ぼう。
福太郎は悪事露見してすんでのところで駿府の福太郎の家に駆け込み、これからの身の振り方を三馬政に相談した。
「大丈夫ですよ。私にいい考えがあります」
「どうするんでぇ」
「町奉行所に行きなさい」
「やだよ。お縄になる」
「なんでお縄なるんですか」
「だって、俺は、おまえ……、あ?」
「でしょ、なにもしていない」
「あ、そうか。じゃあ、でもなにしにお奉行所に行くんいでぇ」
「奉行所に行ってこう言うんですよ。『私は見ました。和田島の太左衛門と津向の文吉がそれぞれ何十人もの身内を集め、槍鉄砲などの武器を携えて、興津川の川原で殺し合いをしています。これは明確な違法行為です。直ぐに捕まえないと一般市民に被害が及びます。捕まえてください』ってね」
「なるほど、そらあ奉行所からしたらとんでもないことだ。与力の旦那に馬に乗って駆けつけるにちげぇねぇ」
「そうすると、どうなります」
「太左衛門も文吉も身内もみんなお縄になる」
「そうすると、どうなります」
「俺は捕まらねぇ」
「でしょ。そうなりゃもう、おまえは、水の上のたん瘤みたいなものじゃないですか」
「なるほどね。じゃ、おら、さっそく行ってくるで」
「ああ、そうなさい」
「じゃあな。いろいろありがとよ。縁と命があったらまた会おう、あばよ」
「いっちまいやがった……」
慌ただしく出て行った三馬政の後ろ影を見送った福太郎は暫くの間、ボンヤリと座って、ムヤミに煙管をふかしていたが、やがてポンと火種を落とすと徐《おもむろ》に立ち上がり、薄暗い部屋の中で優美に舞い始めた。
本当に、本当に美しい舞であった。だがその舞を見る者はない。また、福太郎はこれまで一度も人前で舞を披露したことがなかった。
ひとしきり舞った福太郎はふと動きを止め、聞き取れないほど低い声で何事かを呟くと、スタスタと歩き、玄関から表へ出て行った。
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