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【試し読み】ルワンダでタイ料理屋をひらく #1

『ルワンダでタイ料理屋をひらく』刊行を記念して、本日より2ヶ月に渡り、本文の一部を無料公開いたします! 初回である今回は、Chapter 1 開店準備は珍事の連続 より「アフリカでタイ料理屋を開くのだ」を公開いたします。会社員だった彼女がなぜルワンダでタイ料理屋を開くことにしたのか、その時の様子をのぞいてみましょう。

アフリカでタイ料理屋を開くのだ  

 2015年8月某日。五歳になった息子ミナトと、再びルワンダの地に降り立つ。
……とうとう来たぞ……!
 今の心情を言葉にするならば、前回旅行で訪れた時の、ただただ純粋にワクワクしていた気持ちを十倍にして、そこに少しばかり緊張感が加わったような感じ。今回は旅行ではなく、暮らしに来たのだ。暮らすということは、母一人子一人、子育てしながら稼ぎ、生活を回すということ。
先月までは大企業のサラリーマンをしていた。待遇は良かったけれど、いつからか聞こえ出した「あなたの人生これでいいの?」という心の声が止まない。その問いに、「イエス」がどうしても出てこなかった。「ノー」じゃないならいいじゃない、そうやって日々を過ごす。
遠くに行きたくて社内制度のリフレッシュ休暇をとった。そう、「リフレッシュ」して、また元の生活に戻るはずだった。ところが、この旅行でのルワンダとの出会いが、私の人生を変えたのである。
旅の間、体内時計がまだ日本のままで、夜明け前に目が覚めてしまっては、テラスでただぼんやりする。ひんやりと澄んだ空気が全身を通り抜ける。あたりはまだ薄暗く深緑色に包まれ、たくさんの星が見える。虫の声や、たまに遠くの方から犬の遠吠えが聞こえるくらいで、ひっそりしている。
無に帰れた。心を空っぽにして、ただただ夜明け前の空気に包まれる。いつからか機能制御がかけられていた五官が解放されていくような感覚。思考を止めても、体の細胞一つ一つが自然界と共鳴し、目覚めていくかのようだった。6時頃の日の出に向けて空が白み始めるのと並行して、声たちも少しずつ増えていく。近くからも遠くからも、ポポポポポポ……キョキョキョキョキョキョ……といろんな鳥たちがしきりにさえずり始め、峰々は徐々に輪郭を現していく。
うん。そーね。ルワンダに引っ越そう。
 三十歳の誕生日を迎えながら、私は決めていた。ごくごく自然な流れに感じた。

 そんな風に、導かれるようにルワンダ行きを決めた私だけれど、一応プランはある。それもズバリ、タイ料理屋を開く!
 え? どういうこと? と驚くのもわかる。私も他人からそんな話を聞いたら、きっとそう思う。実は旅行で訪れた際に、ルワンダでタイ料理屋を開くところまではもう決定していた。はじめにルワンダに移り住みたいという願望があって、子どもを連れて一人で行くんだけど、当然生活の糧がいる。何かしないといけない。旅行中に気がついたのは、まずとにかく飲食店のバリエーションがない。単純だけど、レストランを開くのはどうだろう? 
「タイ料理屋とか、絶対いいと思う」と現地に住む友人のマリコさん。よし、それならタイ料理屋にしよう。決定!
マリコさんとその夫のシュン君は、移住のきっかけを作ってくれた夫婦だ。シュン君は実は私の幼馴染で、三歳から十歳まで神戸の同じマンションで育った。その後私は、阪神・淡路大震災の少し前に父の転勤で東京へ引っ越し、以来連絡は取っていなかった。その十数年後、なんと同じ会社の同じ部署に、同じ職種で同期入社したのだ。なんという偶然。シュン君は職場の先輩(つまり私の先輩でもある)のマリコさんと結婚。そして、将来はアフリカで働きたいとずっと前から決めていたマリコさんを追いかける形で、ルワンダへ移住した。
昨年の旅は、彼らを訪ねる旅だった。そして今、今度はルワンダでそれぞれ事業を興し、生活を築こうとしている。縁とは本当に不思議なものだ。そんな縁で結ばれたマリコさんがタイ料理が良いと言うなら、きっと間違いない。タイ料理なら、私も大好きだ。パクチーは苦手だけれど。作れるかって?作ろうとしたこともないから、わからない。でも、飲食店ならお客さんとして利用したことがあるから、どういう商売かは多分知っている。バーミヤンでアルバイトした経験もあるぞ。料理の腕に自信があるかって?特にない。料理好きでもない。って、こんな調子で大丈夫か? わからないけど、やってみよう。
 もう少し真面目に考えてみると、ルワンダは、安定した治安を生かして国際会議の誘致に積極的に力を入れるなど、国として観光業を経済成長の柱の一つとして掲げている。その関連産業として、今後外国人向けレストランは成長しそうだ。そもそも、外食にお金をかけられるのは、国民の経済力からして自ずと外国人か富裕層に限られてくる。このタイ料理屋のターゲット層は、まずは外国人にしてみよう。それに、ルワンダ人の一般層をターゲットにしても、カスタマーの気持ちがわからないしなぁ。外国人の気持ちなら多少わかる。だって私が外国人だから。
 そんな風に後から情報を繋ぎ合わせて、もう一人の自分が「アフリカで日本人がタイ料理ってどういうこと?」と問いかけてくるのをなだめつつ、東京でやっておくべきことを考えた。
会社員生活の終盤は有給消化期間があったので、有名なタイの料理人がやっている教室などに片っ端から予約を入れ、足を運んだ。事前に材料が用意され、手取り足取り先生からの指導のもと作るタイ料理は、めちゃくちゃ美味しかった。中でも一番感動したのは、その名もグンオップウンセン。エビと春雨の蒸し物なのだが、これを出せたら最高だ。内陸のルワンダでエビが手に入るのかは知らないけれど。これ、本当にタイ料理屋でいいのだろうか。まぁやりながら考えよう。店名は「ASIAN KITCHEN」と、タイ料理に限定せずに幅を持たせておきますか。
 「これからアフリカへ渡ってタイ料理屋を開こうと思っている」という私の発言に、先生やその他の生徒さんはへぇ~と目を丸くしながら一様に、ちょっと何言ってるかわからない、という表情だった。まぁ良い。自分でもよくわかっていないのだから。
バタバタと過ごすうちに出発の日は近づき、タイ料理についてはざっくりと知識を入れ、「飲食店開業完全マニュアル」といった本を数冊ざっと読んだ状態でルワンダに到着。まぁ全ては始めてみないとわからないよね。案ずるより産むが易し! やはり不安よりも、未知の世界に対する圧倒的なワクワク感に、スパイスのように効いた緊張感がほんの少し混じっているだけだった。

〈To be continued……〉

『ルワンダでタイ料理屋をひらく』
著者:唐渡千紗
編集協力:大洞敦史
装幀:松田行正+杉本聖士
定価:本体1800円+税
四六判並製/264ページ
2021年3月末発売予定
978-4-86528-021-0 C0095

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