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男の生き方・男の道/町田康

【第31話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 武蘇新に頼まれて馬定の星を取り立てに川崎まで行ったのが、弘化元年の暮、そこで馬定と言い争いになり、武蘇新が頭を割られた。さあ、どうしたものかと思うとき、たまたま表の方を荷車が通った。これを見た次郞長、パッと表に飛んで出た。
 荷車を曳いていたのは鮒が残飯食べているみたような顔した男、こんな男にゃ用はない、次郞長が目を付けたのはその後ろを歩いていた男。
 川崎という所は漁師町で、どうやらその男も漁師らしく、櫂を担いで歩いていた。櫂の長さはおよそ三尺、ひとを殴るにゃちょうどいい、その男のところまで駆けてった次郞長、
「ちょっと借りるぜ」
 と言って櫂を奪おうとする、だけど出し抜けに、それも見知らぬ男に商売道具を貸せ、と言われて貸す訳ゃあない、
「なにを言いやがる、誰が貸すか」
 と断る奴を、
「いいから貸せ」
 と無理にひったくると、これを持って馬定ン家に戻ると、この櫂を馬定の脳天めがけて、ぐわん、と力一杯に振り下ろした。只でさえ力がある次郞長に、船の櫂、で殴られたのだからたまらない、馬定は一声、
「ぎゃん」
 と声をあげて昏倒した。
 ちょうどその頃、馬定ン家の隣の家では、その家のお神さんが、玄関脇の流しでご飯ごしらえをしていた。隣に異様の叫び声を聞いたお神さんは、何事ならん、と表へ出た。
 粗末な長屋だから門も前栽もなにもなく、通りから中の様子が丸見えである。お神さんがなかを覗き込むと、玄関の三和土で見知らぬ二人の男が立って居て、その足元に馬定が伸びている。二人のうち一人は血だらけでウヒウヒ笑っている。そしてもう一人は長い棒を持っている。
 お神さんは驚きと恐怖でその場に固まって動けない。
 そしてその時、間が悪いことに、お神さんは手に庖丁を持っていた。というのは、ご飯ごしらえをしていて異様の叫び声を聞いたお神さんは、「いったい何だろう、何事があったのだろう」と思うあまり、庖丁を置くのを忘れて、それを持ったまま、フラフラ表に出てしまっていたのである。
 武蘇新はこれを曲解した。
 どのように曲解したかというと、馬定の助っ人が庖丁を持って自分たちを殺しに来たと曲解したのである。普通であれば、割烹着を着た主婦を見て、やくざの助っ人とは思わない。だけど、掛け合いの最中に頭を割られて気が高ぶっていた武蘇新はその冷静な判断ができず、庖丁=叫び声を聞きつけて自分たちを殺しに来た者、と曲解してしまったのであった。
「次郎、なにボウッと突っ立ってやがる、それを貸せ」
 喝叫して次郞長から櫂をひったくると、その櫂で隣のお神さんのドーンと突いた。これがたまたま、急所の鳩尾に当たってしまったからたまらない、お神さんはウーンと呻くとその場に倒れてしまった。
 そして武蘇新は、
「次郎、ここでこうしていたらまた新手が来るかも知れねぇ、おいら逃げるぜ、次郎、てめぇも逃げろ」
 と言うと櫂を放りだして逃げてしまった。
 そしてその場に、気絶したお神さんと、気絶した馬定と、正気の次郞長が残された。
「なんだか訳のわからねぇことになっちまったな。けど肝腎の武蘇新がいなくなったちゃんじゃしょうがねぇ。帰《けえ》ろう」
 と、次郞長は二人を残して表に出た。表には既に長屋の住人や通り掛かりの者が立ち止まり、何事ならん、と中を覗いている。
 それらの目を憚って武蘇新は飛んで逃げたわけだが、そこはさすがに次郞長だ、急きも慌てもしない、覗き込んでいる連中を、ジロ、と見る。連中、慌てて道を空ける。
 そこを無言で通り過ぎ、悠然と遠ざかって行く。
 その後ろ姿を人々は無言で見送った。
 なぜこの時、次郞長は武蘇新のように走って逃げなかったのだろうか。足が痛かったのだろうか。違う。それは侠《おとこ》の美学であった。つまり、普通なら知らない土地でこんなことになったら、復讐を恐れ、武蘇新のように走って、或いは然うしないまでも、足早にその場を立ち去る。その際、手拭いで顔を隠すなどして、なるべく人に顔を見られないようにする。つまりコソコソする。
 次郞長はそれを嫌った。だからもしその場に人が誰もいなかったら、次郞長は全速力で走って逃げただろう。だけどそこには人がいた。もし、そこで走り、うまく逃げおおせて身の安全を確保したとしよう。だけどそうした後で人に、
「次郞長だかなんだか知れねぇが、馬定ン長屋から尻に帆かけて逃げた態《ざま》ったらなかったぜ。あんなものは博奕打のゴミだ」
 と言われて笑われるかも知れない。そんな評判があちこちで立てば、やくざ稼業で飯を食っていかれない。だからこそ次郞長は、逃げた、と言われないようにゆっくり歩いてその場を立ち去ったのである。
 そんなすぐに消え去る泡のような見栄・虚飾、目と出てたところでつまらぬ虚名・悪名を得るのみ、目と出なければ死ぬ、に二つとない命を賭ける、それが馬鹿を承知でなったやくざ稼業というものであった。
 さあ、そんなことで悠然と歩いて馬定の長屋を去った次郞長はその後、どうしたであろうか。街道までは悠然と歩き、街道に出て人目がなくなったら一目散に突っ走っただろうか。
 いやさ、次郞長は男である。男が惚れる、男の中の男である。だからそんなことはしない。じゃあどうしたか。

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