#15 【コラム7】おこわ弁当−旅にしあればトーン・チンの葉に
村を去ってすでに遠く、野にバイクを置きひとり風の音を聞きながら、細い竹へぎを解きトーン・チン(クズウコン科フリニウム属)の緑の大葉に包まれたおこわ弁当を広げるとき、この万葉歌をよく思い出した。
家にあれば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に
盛る(『万葉集』巻2、142)
「自邸だったら豪華な食器にご飯を盛るのだが、旅の道中なので椎の葉っぱに盛って食べる」と詠んだのは、有間皇子(640-658)だ。
旅といっても、中大兄皇子に対する謀反の嫌疑をかけられて捕縛され都に護送される途次のことで、皇子は歌ってまもなく、弱冠19歳で命を落としたとされる。それが事実なら、家での食事を思い浮かべながら、冷めた弁当をひとり広げて旅愁をかみしめているノンキな情景ではないのだが、わたしは勝手にそんな歌としてこの歌を味わってきた。
ずっとわたしが世話になっている黒タイの村を訪ねると、帰り際に家族がわたしのためにいつも弁当をもたせてくれる。モチ米を蒸したおこわをトーン・チンの葉2枚にくるみ、竹へぎで縛った大きな方形の包みが一つと、おかずが少々。おかずは肉の燻製のことが多い。スイギュウ、ウシ、ブタ、シカなどの肉に塩をすり込み、囲炉裏の火棚から吊してつくるのだ。これを受け取るのが、まるでお別れの儀式みたいだ。
おこわの塊は2合分以上ありそうなので、とても一人では一度で食べきれない。だから道すがら、高地民モンの村から聞こえてくるスイギュウの木鈴の音を聞き、幾重もの山なみをみはるかしながら、運転手のタンさんと峠のてっぺんでお昼ご飯に頬張ったこともあれば、ソンラーにあるカム・チョン先生の家族に招かれた夕飯にもちこんだことも多い。
はじめのころ先生の家族らは
「これこそ、われわれタイ族の正しい習慣だ」と笑った。
西北部で行かなかったところはない、とうそぶいていた先生も、「去り際には自分もいつもそうやって弁当をもたせてもらったものだ」と、爆撃を避けつつ各地の古老を訪ね歩いた1950年代から70年代のことを懐かしんでいた。
黒タイの主食は伝統的にはモチ米だ。計画経済のもとで米の増産のために西北部でも1960年代からうるち米栽培が拡大しうるち米も食べるようになったが、1990年代でも食事に招かれた際「客人をもてなす米ではないのだけれど」と、うるち米をよそいながらわびられたこともあった。ちなみに、伝統的にはモチ米もうるち米も長粒のインディカではなく、ジャポニカだ。
このおこわがめちゃくちゃウマい!
そのままでもウマいが、ゴマ塩をかけても、あるいはイモやトウモロコシを混ぜて蒸してもウマい!
日本人は日本の米が世界で一番おいしいと信じているものだが、日本でおこわにして食べてみても、やはりめちゃくちゃウマい。
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