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ふたつの事実/町田康

左右社

【第36話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 興津川の北岸、名代の大親分、津向の文吉と対峙した次郞長は、その口から三馬政という名前を聞いて、すぐにピーンときた。
「あの野郎、三馬政ってぇやがった」
 と思う次郞長の頭に浮かんでいたのは、次郞長が江尻の紺久方に入って行ったとき、「やるしかねぇだろう」と叫んで周囲を煽っていた男の顔である。
 こらあ、あの野郎の仕業にちげぇねぇ。
 次郞長は津向の文吉に言った。
「津向の親分さん、これはみんな、その三馬政が仕組んだことですよ」
「そりゃ、どういうことだ」
「へぇ、太左衛門はあーたを召し捕る気なんて、これっぽっちもございません。それどころか、あーたのためを思って紺久方に身を隠したんで」
「うーん、わからねぇ。じゃ、なんで三馬政が」
「さ、その三馬政ですよ。こいつがヘマをしでかして、太左衛門さんにこっびどく叱られた。それを恨みに思って仕返しをしてやろうと思ったが、自分の力じゃかなわねぇ。どうしようかと思ってるとき、あーたが喧嘩支度で江尻へやって来て、太左衛門に手紙を寄越した。野郎、あー、これだ、と思った。つまり、あーたと太左衛門を仲違いさせて、あーたの手で太左衛門を討とう、と、こう思いやがったんですよ」
「なんだって、そう思う。証しはあるのか」
「へぇ、わっしは、ここに来る前、江尻ぃ行って、それからここにやって参りました。みんな喧嘩支度はしておりましたが、みな、あーたが強いことを知っておりますから、表向きは強がっていても腰は引けております。そんななか三馬政はひとりで騒いでみなを煽っておりやした。これが証しでごぜぇやすよ」
「成る程。以て紛擾を醸す、ってやつか」
「そんな、英語で言われても」
「英語じゃねぇ」
「兎に角、そういう訳で、こらぁ、みんな三馬政の仕組んだことですよ。なんで津向の親分さん、わっしが三馬政の首を持って来るまで、もうすこーし、ここで待っててくださいましよ」
 次郞長がそう言うのを聞いた津向の文吉、にっこり笑い、
「清水港の次郞長とか言ったな。いい漢だで。今回ばかりは俺の縮尻だ。三馬政のことはおめぇに任せる。そうとわかったら太左衛門に他意はねぇ。おらぁ、引き上げるぜ。太左衛門のところへ言ったら、文吉が、すまねぇと謝っていた、とこう伝えてくんねぇ。よろしく頼む」
 と言って次郞長に頭を下げた。したところ。
 これを見ていた周囲がざわついた。
 というのはそらそうだ、津向の文吉と言えば甲州名代の大親分、それが、たった一人で突然やってきた、遥か年下の、どこの馬の骨ともわからないような若い奴に深々と頭を下げたのだから驚くに決まっている。
「お、親分が頭を下げたぜ」
「すげぇ」
 と、周りの奴らが言うのを聞いて次郞長は得意の絶頂、鼻をおごめかせて、
「そいじゃ、御免なすって」
 と芝居がかって土手の上にかかってくる、その背を見送って文吉は呟いた。
「次郞長か。奴はでかくなる」
 文吉はそう言って暫く動かない。それに一の乾分の瑠五郎が声を掛けた。
「親分、そうとわかったら早く引き上げやしょうぜ。役人が来るかもしれぇ」
「うむ」
 と返事をしながらも暫くの間、文吉は目を閉じ、腕を組んで床几に座ったままでいた。なぜならその股間がでかく怒張していたからである。


 土手上に上がった次郞長は重蔵を呼んだ。
「おい、重蔵、いるか」 
 だが返事がない。
「ははーん、さては俺が殺されると思い込んで逃げやがったな。臆病な奴だ」
 次郞長は重蔵を嘲笑った。
 そしてすぐに真顔になり、
「いや、笑ってるバヤイじゃねぇ。早く三馬政をとっ捕まえねぇと」
 と言い、飛鳥の如くに駆け出した。

 扨、その頃、紺久方には重苦しい気配が立ちこめていた。
 血相を変えて戻ってきた重蔵が、
「次郞長は殺されたぜ」
 と報告、
「なんだとお、嘘じゃあるまいな」
 聞き返す太左衛門に、
「なんの嘘であるもんか、俺はこの目で見た」
 と言ったからである。
「そうかー。次郞長が死んだが」
 と紺久が苦り切った。こうなればもはや決戦は避けられない。だけどはっきり言って勝ち目がない。上辺では、「弔い合戦だ」「俺が文吉を叩き斬る」「死ぬ気でいこう」など威勢のいいことを言い合ったが、言葉は虚しく、内心では、そこにいる全員が死を思い、そして生を思っていた。
 そして一瞬、みなが黙りこくった時。表の方から、
「おーい、てめぇたちっ」
 とおらぶ声が聞こえた。
「すは、敵か」
 と一同、驚き惑い、身構えるところ続けて、
「敵はこン中だ、こン中に敵がいるぞ」
 と言いながら駆け込んでくるのを見て二度、驚いた。なんとなれば。
 駆け込んできたのが文吉に殺されたはずの次郞長であったからである。
「次郞長、てめぇ殺されたんじゃなかったのんいっ」
「なにが殺されるものか。そんなことより、三馬だ、三馬政を捕まえろ」
「三馬の兄哥を? そらどういうこったい」
「どうもこうもあるかい。こらみんな三馬の差し金よ」
「そうだったのか」
「そうだよ。早く三馬を捕まえろ、三馬はどこだ」
「三馬ならたった今、二階に上がってたぜ」
「野郎、二階から屋根伝いに逃げる気だな。そうはさせるか」
 と次郞長、二階へ駆け上がった。だけど三馬政はもうそこにはいなかった。悪いことをする奴というのはすばしっこいもの、次郞長が表の方まで来た時点で悪事露見を悟って二階へ駆け上がり、「敵、この中に在り」と叫んだときすでに屋根庇に駆け下り、二階へ駆け上がったときにはすでに裏の畠に飛び降り、一同が開け放った窓から外を覗き込んだときには、もう畠の向こうの林に駆け込んでいた。

「あぶねぇ、あぶねぇ。もう少しで捕まるところだった」
 林を駆け抜け、街道の外れまで来て、ようやっと立ち止まって一息つき、思わず呟いた三馬政はしかし、
「けど、安心はしていられねぇ。いずれ追っ手がかかるにちげぇねぇ。どうしよう。そうだ、俺がこんなことになったのも、元はと言えば三左衛門のせい。とりあえずは三左衛門のところに匿ってもらおう。おおそうだ」
 そう言って三馬政はまた駆けだして府中は馬場の宿にかかってくる、
 宿外れの裏長屋、露地口に立って、
「いつ来ても汚ねぇところだで」
 と言うと右左、後ろを見て付けてくるものがないのを確かめると露地へ入っていき、一番奥の、昼間から閉めきった戸に手を掛けると、カラカラカラ、と言いたいところであるが、建て付けが悪いからそうはいかない、ガタピシ、と力任せに開け、
「おい、いねぇのかい」
 と声を掛ける。そうしたところ、薄っ暗い部屋、端正な顔をした二十七、八の男が布団の上に胡座をかいている。
「なんだ、居るんじゃねぇか」
 と言って上がってくる三馬政の顔を見、
「おお、政さんか、今日はどうしました。脇本陣で馬子がうどん食べてるみたいな顔して」
 とノンビリした言った。それとは裏腹に三馬は切迫して、
「政さんか、じゃねぇやな。おめぇのせいで俺ぁ、えれぇ目に遭ったんだぜ」
「えれぇ目、そりゃ、どういうこってす」
「どうもこうも、おめぇが言ったとおり俺は津向の文吉つぁんを焚きつけて和田島と喧嘩になるように仕向けたのよ」
「ああ、そうだ。おまえは、おまえが好きだった男がお前を振って太左衛門に靡いたって恨みがあるからな」
「そうよ」
「そしたら、うまくいったろ?」
「ああ、うまくいったよ。おめぇの言う通り、堅気のお神さんを誑かし、手に手を取って駿河に逃げたおめぇを追いかけて江尻へやってきた文吉つぁんに、『どうか気をつけておくんない、太左衛門がお上の威光を笠に着ておまはんを召し捕ると言ってますぜ』と言ったら文吉は火の玉になって怒って太左衛門に喧嘩状を叩きつけた」
「そうだろ。私の言ったとおりになった」
「そこまではそうさ。だけど、そっからが違っちゃったんだよ」
「どうなりました」
「清水の次郎長って野郎が……」
「ん? いまなんと言いいました」
「清水の次郎長」
「ふーん。そうですか」
「その次郎長が、たった一人で津向の勢のなかに乗り込んでって、文吉つぁんと直談判、『こらあ、三馬の仕業だで』ってことになって、俺は危うく首にされちまうところ、すんでのところで逃げてきたんだぜ。これというのも元は言えばおめぇの悪事から始まったこと、すまねぇが暫くここに匿ってもらうぜ」
「それは困りますね、まるでスルメの洗濯だ」
「なんで」
「なにしろここは駿府の城下です。おめぇの知り合いも多い。そんなら江戸か上方にでも逃げた方がいいですよ」
「まあ、それでもいいが、急廻文が回ってるだろうから。津向や和田島の息がかかったところでは仁義は切れねぇ。となると宿屋に泊まるしかねぇがそれには銭がいる」
「そうだな」
「すまねぇが用立ててくんねぇ」
「ないですよ」
「ない、そんなことねぇだろう、おめぇ、およしさんと逃げるときに家の金をごっそり持ち出したんじゃねぇのか」
「ああ、持ち出しました。だけど、こないだうち、みーんな、博奕で負けてとられちゃいました。はは、おもしろい」
「笑ってやがる。ちっともおもしろかねぇや。そういや、およしさんの姿がみぇねぇがどうした、用足しにでも出掛けたか」
「あー、およしはもうおりません」
「え、死んだのか」
「いや、そうじゃねぇ、博奕の借金の形代にしたんです。女衒が来て連れていきましたから、いまも元気に飯盛かなにかをしているはずですよ」
「悪すぎる」
「ところで、その横手から出てきた次郞長という男、私、よく知ってますよ」
「あ、そうなのかい」
「ええ、つい一月前も天竜川の川原ですれ違いました。というか、私はあの男を子供時分から知ってますよ」
 というその、いまは三左衛門と名乗り、端正な顔と理知的な物腰で女をコマし、さんざん楽しんだ後、宿場女郎に叩き売る、という極悪行為を繰り返して恥じないその男は。
そう、幼い次郞長が恋した相手、養母・直と手に手を取って逐電した、あの福太郎のなれの果てであった。

「そうだったのかい」
 と三馬政が気のない様子なのは、だからと言って自分が直面する窮境がどうなるわけでもないからである。だから遠い目をして過去を回想する様子の三左衛門こと福太郎の膝に手を掛けて言った。
「それはいいが、俺はどうなる」
 三左衛門こと福太郎は言った。
「それについては私にいい考えがあります」
 福太郎が静かな口調で話を始めたところで恰度時間となりました。ちょと一息、また筆演。

町田康(まちだ・こう)
1962年生まれ。81年から歌手として活動、現在はバンド「汝、我が民非ズ」で活動中。最新作は「もはや慈悲なし」。96年以降は小説家としても活動。主な著書に「告白」「ギケイキ」などがある。


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2005年設立の、人文書・文芸書を中心に刊行する出版社です。左右社という社名は書家の石川九楊先生に付けていただきました。亀のかめ吉を飼っています。